近代日本の夜明け──。
明治政府の掲げた二大国策
「富国強兵・殖産興業」の一翼を担うべく
富岡製糸場が誕生しました。
ヨーロッパの技術と日本独自の工法が融合してできた
世界最大規模の製糸工場。
訪れた時、富岡製糸場はまだユネスコの世界遺産に登録されておらず
「暫定リスト記載」中でした。
ここのブリューナ館で財団法人大日本蚕糸会主催の「日本の絹」展示会への参加のためでした。
京都からは一人だけです。
世界遺産実行委員会は教育委員会ということでした。
左手前が当社の展示品です。
ブリューナ館はブリューナ氏の住居でしたが後に高等学園の体育館に改造されたため居住空間の面影はありません。
で、手前の床が正方形に色が変わって見えます。
展示会が終了した時、教育委委員の方が「わざわざ京都から来られてるので特別に地下貯蔵庫をお見せします」と言ってくださり、公開はされていない場所を見せていただきました。
まだ貯蔵庫が何故ここまで巨大すぎるのかは研究中とのことでしたが、明治5年に建造された当時、フランス人の飲むワインが血を飲むように見えた時代で民衆に襲撃される恐れがあり、そうなった時の避難壕を兼ねたという説が有力と聞かされました。
一般の観光案内はボランティアで主に元校長先生クラスと伺いました。
正面入口アーチに「明治五年」と彫られてる意味はお解りでしょうか?
このお言葉から案内は始まりました。
博学な方だとは感じましたが、質問の真意が判らないのです。
正解は「えっそんなに古い」なのでしょうか?見学者は全員無言でしたので未だに見当がつきません。
日本全国の観光地で一番扱いにくいのが京都人と言われるそうです。
何を言っても「ふうん」だからだそうです。
私の明治五年とは改築前の我が家なのです。
同じ町内にはまだ改築されていない家屋も現存します。
京都人は答え方が判らないから「ふうん」になってしまうのです。決して馬鹿にしたりはしていません。(余談ですが一番理解に苦しむ案内だったので逆に記憶に残っています。)
隣の建物が繰糸場。
でも内部の機械は最新の機種です。
建築当時の繰糸器械は岡谷蚕糸博物館に保管されているとのことで、案内人も世界遺産として建造物としてのご説明でしょうが、見学者は製糸場として見てしまうので誤解が生じると感じました。
国内では他に例を見ないフランドル積みのレンガ壁は当時の瓦職人が鋳造したので焼き具合で色や形が不揃いです。
窓のガラスも空気泡があり歪みのあるものを建物奥に移動し、手前は現代のガラスに置き換えたと仰るのです。
逆ちゃあう?と京都人は感じます。京都の頼山陽の庵もガラス窓で同様に歪んだり空気泡がありました。
でも、当時ガラス1枚は家1軒建つ値段と説明していました。あとで実行委員さんにそう伝えました。
おそらく観光に不慣れな地だから、みなさんの熱意は相当感じましたが、意図が不鮮明でした。
悪口ではなく熱い思いは十分過ぎましたからめでたく世界遺産登録を知り喜んでおります。
で、肝心の「製糸」の説明は、その前後に訪れた「碓氷製糸」さんの動画をupしておきます。