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原材料工程

撚糸

西陣はなぜ屈指の織物の産地になり得たのでしょうか?
応仁の乱で山名宗全が西の陣を置いた地に織物産業が芽生えた。
これは「西陣織」という呼称の由縁に過ぎません。
世に言う応仁の乱は長く続いた戦で、元々この地に居た織物職人は各地に疎開しました。
中でも大阪府の堺に移った者が多く、そこでも織物に精を出していました。
やがて戦も終わり、元居た地に戻った時、中国から渡来した「撚糸器」を持ち帰りました。
この撚糸器の登場で西陣は名だたる織物産地になり得たのです。
「お絹のお話」も、初めて織物に使う絹糸の登場になるわけで、シリーズ1〜5までは「生糸」と呼び、ここからは「絹糸」と呼び名が変わります。
 

生糸の種類の中には「同質量の鉄より強い」などと謳う説明があります。
鉄は糸のように極細にするには不向きな素材で、生糸と較べること自体ナンセンスです。
「絹織物」は蚕が吐いた糸1本を織ると誤解されている方も多いです。
前回「繭から初めて生糸になるこの時点で既に7〜15粒の繭から挽き出した糸を1本の生糸にするわけです。」と書いていますし、動画をご覧になっても1本の生糸は既に蚕が吐いた糸1本を織っているのではないことがお判りになるはずです。とても細いのです。
1本の生糸で織物は織れません。
数本を束にしてもバラけて扱えませんが、生糸に撚りをかけると丈夫な糸となり製織可能になります。これが「撚糸」であり、この工程を経て生糸は絹糸へと変貌します。
「撚糸」と書いて「ねんし」と読みます。
 
 
糸は2本撚り合わせると強度が3倍ほどになります。
西陣では2本から48本まで撚り合わせる本数を変え使用されます。
撚り方は、同方向にのみ撚りをかける片撚り、また片撚り糸同士を今度は逆方向に撚り合せた糸を諸(もろ=双)撚りといい、両者が最も代表的な糸となります。諸撚りにも甘撚り(撚り方の回転数の少ない撚り)、駒撚り(回転数の多い撚り)もあります。
片撚り糸は光沢がよく柔らかですが、ももけ(毛羽立ち)安く、諸撚りはももけにくく締まった風合いです。ただ諸撚りでも甘撚りは織り上がりが片撚り糸のように光沢がいいです。
絹糸の太さはデニール(D)を目安にします。
長さ450m、重量0.05gが1D。
この定義では直接、糸の太さにならないように思えますが、糸を合わせて太さを調節するのも撚糸の役割であり、Dは糸の太さの目安になるわけです。
 
例えば21中(なか)の生糸を4本撚り合せた糸は21中の4本(21/4)と表記します。
これは21×4=84Dです。
上の写真の向かって右が21/4諸(通常「にいちのよつもろ」と読みます)です。
向かって左が21/4片(「にいちのよんかた」)です。
どちらも同じDですが、片撚り糸21/4片の方はふわっとした糸に見え、諸撚り糸21/4諸の方は締まってまとまりよく見えます。
私どもは、目指す織物に最適な絹糸の太さ(D)やその糸の合わせ本数、そして撚り方(諸撚・片撚)の種類を考えて製織します。絹糸は1本で織ることもあるし、数本合わせて織ることの方が多いのです。
 
私の子供の頃には撚糸屋を営む家がそこら中にありました。
私の知らない戦前までは織屋(織元)は生糸を買い、直接撚糸屋さんに撚糸に出していたそうですが、近年は地元西陣にある原糸商に撚り済みの絹糸を注文するようになっています。
この歴史から糸屋さんは今でも原糸商と名乗っているようです。
私どもでは絹糸を購入する際、単価はKg単位なのに形は括(かつ)です。
 
撚糸というのは説明も難しく一般人には理解しづらい工程なので、織工程の略図から割愛されることが多いです。
ですが「西陣織」が発達した一番の要は、この「撚糸」にあることを記憶に留めていて欲しいのです。
余談ですが、「腕によりをかける」や「よりを戻す」という言葉は「糸の撚り」を語源にして生まれた言葉です。

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