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企画・製紋工程

紋製作

紋の制作は西陣の場合、「紋屋」と呼ばれる専門職に外注で依頼します。

綜絖(そうこう)という器械に合わせた織物にするため、図案を紋図に作り上げるのです。データ化して綜絖に指示するのです。

織物は生地の上に後から色を染めたり絵を描いたりしませんから、文様にぼかしを入れるのも変化をつけるのも別の杼(ひ)が必要になります。織り組織を変えたり糸のボリュームで光と影を演出します。ですから白の百合の文様でも当社では4丁の杼を使ったこともあります。同じ白の糸でも織り組織を変えたり、撚りの異なる絹糸を用いたり、絹糸の合わせ本数を変えたりして変化を出します。そういう指示を出すデータを紋屋さんに依頼します。

一つの西陣織にも何種類もの織り組織が組み合わされています。

紋屋は意匠絵(図案)を方眼紙に描き替えているだけではない。

以前は方眼紙の上に絵筆で顔料で描かれた紋図を基に紋紙を彫り(穴を開け)ジャカードへの指示を出しました。

紋紙を作成するのは紋屋の下請けの紋彫(もんほり)業です。

厚紙に穴を開ける様子がピアノを弾いているようなのでその器械をピアノと呼んでいました。穴を開けた細長い厚紙を糸で繋げて織機のジャカードの横に吊るすため、編んで頭と最後も繋げます。この仕事は別の編み屋という専門職に依頼していました。

紋彫は、楽譜を見てピアノを弾くように、紋図を目で見て紋紙に穴を開けるので、見間違いで本来の穴の位置とずれて彫ってしまうことがあり、正しい製織ができないのを織り場で判明することがあったり、紙ですから使い込むほどに劣化し破れることも多々ありました。部分的に紋紙を修正する時は、織機の横に吊された紋紙の修正箇所のに新しい紋紙に差し替えます。この時に穴をあける道具が写真のパンチという片手で穴を開けるものです。紋紙を繋いだ糸もその部分だけその場で繋ぎます。

ですから織り手は紋屋さんより紋彫屋さんと顔馴染みでした。

ダイレクトジャカードに変わった現代では、PC上に紋図を作り電子信号に変わっています。紋図は紋製作が完成してからプリントアウトしたものを紋図として使用します。ですから紋屋さんは絵筆を持ち大きな方眼紙の上に絵を描く作業がなくなりましたし、紋彫業も編み屋もほぼ無くなりました。

また紋紙の時代は、織機の横に吊るすため工場の空きスペースの違いにより吊るせる紋紙の大きさ(長さ)に限りがありました。

通常、一つの紋は80,000枚が平均的でしたので、作る織物の紋丈(もんたけ)が限定されましたので、一図全通(織り始めから織り終わりまで、つまりタレ先から手先まで返しのない)文様などは不可能でした。

また紋屋から届く紋紙は運搬に便利な丈に畳んでありますが、畳んだ厚みのままでは機場(はたば)に吊るせないので、織り手が頃合いの長さに畳み直し畳んだ厚みを薄くします。

この時、紋串(もんぐし)という硬い針金状の串を等間隔に刺していきます。これは紋紙を吊るすために上部の竿に掛けるためですが、紋紙は最初に固定したままではなく畳んだ紋紙はループになっていて、杼が一丁通る度に動くので等間隔に紋串が必要になるのです。織る紋が変わるたび、織り手は紋紙を畳み直して紋串を差すので紋替えをするたび一苦労で、紋替えを嫌がりました。

大きな紋を吊るすと工場が陰気になり経糸(たていと)が切れたりして織機の末尾に行く時、吊るした紋紙の下を潜り抜ける必要があり、動いたままの織機に巻き込まれないように気を付けなければいけませんでした。

 

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紋意匠図
配色