日本文化を食っている気がしてくる
司馬遼太郎は「街道をゆく 嵯峨散歩」でこう感嘆しました。
安政年間(1854~1860)の創業以来、手作り豆腐に拘り続ける嵯峨豆腐 森嘉。
天龍寺をはじめ嵯峨・嵐山周辺の寺院や料理屋さん、旅館など名だたる名店が森嘉さんのお豆腐を使った料理を提供されています。
そのやわらかさは、「箸にもかからん」と揶揄されたほど。
またまた寒波ですね。寒過ぎます。雪降ってます。こんな夜は湯豆腐です。
川端康成の「古都」の「尼寺と格子」
千重子の父の佐田太吉郎は、三四日前から、嵯峨の奥にかくれた尼寺に、かくしてもらっていた。
尼寺といっても、庵主は六十五を過ぎている。その小さい尼寺は古都のことで、ゆいしょはあるのだが、門も竹林の奥で見えないし、観光にはほとんど縁がなくて、ひっそりとしていた。
佐田の店はとにかく京呉服問屋として中京にある。太吉郎はもちろん社長であるが、取引は番頭にまかせている。
娘の千重子が、ひるごろに来た。
「お父さん、森嘉の湯豆腐をおあがりやすか。買うて来ました。」
「ああ、おおきに・・・・・。森嘉の豆腐もうれしいけど、千重子の来たのはもっとうれしい。夕方までいて、お父さんの頭をほぐしてんか。ええ図柄が浮ぶように・・・・・。」
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