綺な錦

BLOG 2017.12.22

すいば6

 

綺(き)とは織り目が斜めになったものです。

錦目とも呼びます。

また、美しい、華やかという意味もあります。

 

暮れも押し迫ってきましたね。
年の瀬にかけて正月用の食材を買い出しに大勢の人が錦市場に押し寄せることでしょう。 
錦市場は延暦年間(782-805)に開かれたという。
元々の具足小路という名から「くそ小路」と悪態をつかれてたのを、後冷泉天皇が錦小路と改めた。  
江戸時代に魚市場として栄え、昭和初期より京の旬の食材が手に入る現在の形になった。
錦が錦たり得た理由は地下水であり、「降り井戸」の冷気で生ものを冷やす天然冷蔵庫にしていたのだ。
錦小路の高倉から寺町までの両側126店舗が錦市場で京都人は「にしき」と呼んでいます。

先ずは、高倉通錦の南西角からご紹介しましょう。
 
ここは「伊藤若冲」宅跡です。
昨年は若冲生誕三百年の年でした。
釈迦の入滅の様子を描いた涅槃図になぞらえて、中央に大根が横たわり、その周囲には、大根の死を嘆くさまざまな野菜や果物たちが描かれている「野菜涅槃図」のようなユニークな作品は、若冲が青物問屋を生家とすることに由来しているといわれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年、敬老の日辺りに母に 京都府からの贈り物のショッピングボンドが舞い込みました。

予期せぬご褒美で母の「卆寿」記念の買い物を。
三木鶏卵のだし巻きや鯛、鱧、鰻という高級魚などを見ているうちに「有次」に立ち寄る。
因みに築地有次は京都有次から、のれん分けしたそうです。
自分の貰った金券で自分の記念品を買わせることになる母には申し訳なく思うけれど
m(_ _)m
なかなか高額な包丁なんて普段手が出ません。
母の名に卆寿の文字を加えて彫り込んでもらった。
「にしき」は寺町通で終わります。
ですが、錦小路の東の突き当りはもう一筋東の新京極通の錦天満宮になり、石の鳥居が寺町にあリます。
上の写真、なんだか変だとお思いになりませんか?
鳥居上部の笠木が民家に突っ込んでいるのです。

昭和に入り、天神さんの参道(錦小路)を残し両側を民間に売却するとき、鳥居の足の部分だけ計測して売却してしまったからこんなことになってしまったらしいのです。
それでも京都はもめないw
錦は端から端までがオモロイ。 とにかく活気に満ち溢れた街なのです。