公式ショップ 公式ライン

廬山寺の桔梗〜 紫式部邸宅趾

当主のひとりごと (BLOG) 2024.07.06

我が家の住所に「芦山寺」という表記があります。芦山寺は通りの呼び名で、京言葉特有の一文字の言葉は伸ばして発音するので「ろーさんじ」と言わなければ通じませんが、寺の廬山寺は何故か「ろざんじ」です。

廬山寺応仁の乱で焼失後、御所の東に移転しましたので、元あった船岡山南麓に通りの名前だけ残ったのです。

現・廬山寺は紫式部の曽祖父・権中納言藤原兼輔(堤中納言)邸宅の地であり、紫式部はこの地で育ち、結婚生活を送り、一人娘・賢子を産み、「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」など、ほとんどこの地で執筆された、まさに世界文学発祥の地です。考古学者・角田文衛博士の考証によります。住まいや墓所が分かるのは偉業を成した人だからこそ。

廬山寺の建物自体は宝永の大火、天明の大火と焼失し、現在の本堂は寛政6年(1794)、仙洞御所の一部を移築したもの。

源氏物語 巻十一花散里(はなちるさと)」の(やしき)はこの辺りだったようだ。

また、源氏物語には「中川」という川が何度も登場します。

西の桂川と東の鴨川の間にあった川だからと云われますが、現在は暗渠(あんきょ)(塞がれた川)となり地下を流れています。

邸で碁を指していた空蝉(うつせみ)に恋焦がれた源氏が取り違えて関係を持ってしまった軒端荻(のきばのおぎ)、この邸も中川のわたり。

その名残が境内にあります。

三門を入ったところに小さな橋が架けられています。かつて貴族の邸には中川から水を引き入れていたようです。

江戸時代に刊行された「都名所図会」にも中川はあります。「ろーさんじ」

 

 

 

昔、中国は蘇州・寒山寺の管長性空法師に書いて戴いた書。

この詩を頼んだ動機は冒頭の通り住所に因んだ単純なものでしたが、改めて見ると奥の深い禅の境地でした。

来往如杼」と同じ宋代の詩人蘇東坡の七言絶句。

中国の二大奇観と言われる江西省にある廬山とは峻険で奇峰が連なり烟るような霧雨がたつ景色は絶景だといわれており、浙江は満潮の海流が河からの水とぶつかり津波の如く激しく河が逆流する様は壮観と讃えられる。

  廬山烟雨浙江潮     

未到千般恨不消 

得至環来無別事 

廬山烟雨浙江潮 

最初の「廬山は烟雨、浙江は潮(ろざんはえんう、せっこうはうしお)」は

この天下の名だたる景観をぜひ一度は訪ねたいもの

その思いを消そうとしても消えるものではない

 

ところが念願果たせて実際に見て感激はしたけれど

帰り来れば格別な感慨もなく

やはり「廬山は咽雨、浙江は潮」だった

 

想像の域でしかなかった「廬山は烟雨、浙江は潮」を

実際目の当たりにし、感激してきた体験から云い得た

廬山は烟雨、浙江は潮」には別な心境がある。

 

元いた自分から出て、高いものを目指しそこまで到達して振り返ってみると、

形はちっとも変わっていないし自分の身体も少しも変わっていない。

やはり元の自分がここにあるということなのですが

心境においては大きな違いがあるのです。

 

一度も体験できないと悔しい。

いったん体験すると、たいしたことはない。

そう、それが人生なのだ。

 

 

 

 

※因みに「芦」は水辺の多年草で旧漢字は「蘆」

「廬」は「庵」の旧漢字なので別の字です

が、戸籍謄本が手書きからデジタル化した当初

うちの住所は廬山寺になっていて違和感がありました

何方かが指摘されたのでしょう、今は芦山寺に直っています

それでも芦山寺は細くて長くもない通りの割に有名なのは

廬山寺のあった場所と知れ渡っているからだと思います

コメント

  1. ピンバック: 萩のうわ露 

コメントを残す

*