春のうららの 隅田川 のぼりくだりの 舟人が
櫂のしづくも 花と散る ながめを何に たとふべき
瀧廉太郎作曲の「花」ができたのは明治33年のことでした。
作詞は日本女子大学教授で歌人の武島羽衣です。
七五調の文体でのどかな隅田川の春の光景が見事に描写されています。
実はこの歌詞は「源氏物語 巻二十四 胡蝶」を踏まえているようです。
春の日の うららにさして いく舟は
棹のしづくも 花ぞ散りける
(春の陽が麗らかに射して、その中を棹をさして行く舟は、
その滴も花が散るようですね)
源氏が築いた六条院の春の御殿、その主人・紫の上が龍頭鷁首の船を池に浮かべて船楽を催し、秋好中宮付きの女房を招待し、春の素晴らしさを見せつける趣向になっています。本来ライバルであるはずの女房たちは、ただもううっとりとして春の御殿を讃える歌を詠んでしまいます。
六条院想定図
源氏はあちこちに心細く住む女性たちを一堂に集めた静かで広く見栄えのする邸宅を作った。六条通と東京極通に接する所に四町の広大な敷地に大邸宅を構えた。一町は40丈(120m)四方、これが4つだから240m四方、町と町の間は小路があるので252m四方、面積63,500㎡。一般貴族の屋敷が一町、上皇など特別な人の場合に四町や八町の例もあるが光源氏はやはり別格だった。
その眺めを例うべきと大沢池に来ました。
夏日ですね。今年の花見の見納めとなりました。
龍はよく水を渡り、鷁はよく飛んで風に耐えるとされ、船首にそれぞれを飾り二隻一対になって使用されるので「龍頭鷁首」と呼ぶ。
平安初期、嵯峨天皇の離宮として建立された離宮嵯峨院(現・真言宗大覚寺)。
東に広がるのが大沢池で周囲約1km水面23,000㎡のの日本最古の人工池です。
「紫式部日記 寛弘五年(1008)十月十六日 」に龍頭鷁首の記述があります。
その日 新しく造られたる舟どもさし寄せて御覧ず
龍頭鷁首の生けるかたち思ひやられて あざやかにうるはし
行幸は辰の時とまだ暁より人びとけさうじ心づかひす
上達部の御座は西の対なればこなたは例のやうに騒がしうもあらず
内侍の督の殿の御方になかなか人びとの装束なども
いみじうととのへたまふと聞こゆ
(略)
御輿迎へたてまつる船楽いとおもしろし
(訳) 一条帝の行幸当日になりました。道長様(当時43歳)は新しく造られた船を岸辺に寄せさせてご確認なさいます。
船首に飾られた龍頭鷁首はまるで生きているかのような見事さで目が覚めるほどに華麗である。
一条帝のご到着は辰の刻(午後8時)ということで女房達はまだ陽が出る前から入念に化粧をして心の準備をしています。
そうは申しましても上達部の御席は西の対で私たちがいる東の対はいつもよりは落ち着いていて騒がしくはありません。
むしろ内侍の督の御殿では女房達の衣装を素晴らしく整えているとの話です。
(略)
帝の御輿をお迎え申し上げる船楽は実に素晴らしく晴れがましい。