源氏物語 巻十一は「花散里」です。
宮中では源氏を追放しようという謀議が進んでいた。
大将の官位を略奪されるまでに手を打たねばならない源氏に五月雨が行動を阻む。
橘の花も雨に濡れ、京はふんわりとしたその甘い香りに満たされていた。
五月雨のめずらしく晴れた雲間に、源氏は麗景殿女御を訪ねた。
たちばなの 香をなつかしみ ほととぎす
花散る里を たづねてぞ問ふ
橘の花の散る里。
この心静かな姉妹の家で、花を散らす覚悟を決める源氏。
心静かな姉妹により光源氏を美しい姿と心のままで描ききっています。
一面に漂う柑橘系の香りの中に身を置くと癒されることでしょう。
香を伝えるのは難しいですが、ちょうど柚子の里・水尾のような一帯が芳醇な香りに包まれるのでしょう。
「はなちるさと」とはなんて美しい響きでしょう。
私どもはWindow98当時、「左近桜・右近橘」という袋帯を制作しました。
夜6時前、とあるナショナルチェーン(全国展開の呉服販売業)から「桜と橘の謂れを教えてもらえないか」と連絡が入りました。
今のようにググるという時代には早すぎ、net情報も貧相で、資料館も図書館も閉館時間を過ぎています。御所の左近桜・右近橘以外に特に「橘」の資料を持ち合わせていません。
不確かな情報をお伝えする訳にもいかず、10年分ほどの知恵を絞りに絞りに絞って閃きました。
もしかして「橘寺」なるものがあるのではないかと。
あったんですよ、これがまた。奈良に。
でも電話に出ていただけるかどうかがまだ賭けでした。
御住職が電話なのに懇切丁寧にお教えくださいました。
必死にメモを取りながら漢字まで教えていただきました。
「日本書紀」に伝わる伝説でした。
「橘」は古名を「非時香菓」と言い、夏に実り秋を経て霜に耐え、時ならぬ冬でも枝にあって芳しい木の実という意味です。
垂仁天皇の御代(仁徳天皇の10代前)、田道間守という人物が勅命を受け常世国(不老不死の国)に至り、苦労の末に手に入れ持ち帰った不老不死の妙薬・非時香菓。
しかし時すでに遅く天皇崩御後であったという内容でした。
田道間守は嘆き悲しみ、御陵に非時香菓を献じ殉じてしまいました。
「橘」は「田道間花」が詰まったものだとの説もあります。
裏付ける実例までお教えいただきました。
思い出懐かしい記憶です。
橘の花は気高い純白の花が咲き、黄金の実を結びます。
花も実も香気が高く菓子の材料としても食され、我が国の菓子の始まりとされることから、田道間守は菓祖(和菓子の神様)とされています。
品種改良を重ねた甘く実の大きい種のない量産される果実に慣れ親しんだ現代人。
原型である橘の実は、勅命ゆえに当てもなく不老不死の妙薬を命をかけて探し求めた人の存在まで想いを巡らせると感慨深いものがありますね。
非時香菓、食してみたくなります。
あ、そうそう。
文化勲章も橘をデザインしたものでしたね。
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