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神にあふひ

当主のひとりごと (BLOG) 2023.05.11

14日は今宮のお帰り祭の日、翌15日は葵祭。

 

我が家は上京区の成逸学区にあります。

成逸小学校は廃校になっても学区としては生きています。

 

この学区には「社(やしろ)」という字の入る町名がやたらある。

うちの町内の西側に軒を連ねる家の多くが神社と背中合せ。

そして我が家の向かいから西に伸びる道が「社突抜」です。

 

時折、京都の歴史を専攻してると思しき女子大生さんが迷ってたり。

「春日神社って何処ですか」と尋ねてきます。

近いのでご案内します。社突抜の途中の家の隙間から路地のような参道に出れるんです。

突抜」とは元々ある道をさらに突き進んで次の道へ新たに開いた短い道で京都特有のものです。

 

櫟谷七野社(いちいたにななのやしろ)

通称「春日神社」。

七野社は私の子供の頃には社務所もあって神主さんがお住まいでした。

大勢の子供が格好の遊び場として集っていました。そうとういましたよ。

学校の校庭ではできない遊びをするのです。

石杭の並びを馬跳びする子、野球、2B弾という爆竹も流行りでした。

神主さんは子供が生来お嫌いなのか、神聖な場所では遊んではいけないとお思いだったのか、ある時期から「⚪︎⚪︎禁止」という立札が次々建って行き、石杭は抜かれ、懲りない子らを走って追いかけ回す神主さんのお姿も見たものです。結構ご高齢でしたが。。

今になって思えば、上手に諭せばいい氏子に育ったのになぁと思いますが、大人の事情もおありだったのでしょうか。

 

私も中学生になり神社に足を向けなくなりましたが、大人になり知ったことがあります。

洛中洛外図屏風に描かれているんですよ。

「櫟」とは「くぬぎ」のことです。

 

当時は人気がなく近隣に住む者さえ知らなかったほどの神社の由緒でしたが、近年こんな石碑が建ったようです。

 

約150m四方を占めていたといわれる斎院は賀茂社(上賀茂神社)の領地でした。赤枠が外院、緑枠が内院。

斎院」とは平安から鎌倉時代にかけ賀茂社に奉仕する斎王(斎内親王)が身を浄めて住まわれた御所。

 

和歌集にも登場する後白河帝の娘・式子内親王も住まわれてた御所。

 

そういえば「斎王」って何処かで聞きませんでしたか。

 

2017年まで葵祭の斎王代はここまで来て「献茶式」に臨んでおられました。

動画の時にはおそらく上賀茂神社の神官が俄かに来られたんだと思います。

 

元来「葵祭」はこの地に住まわれた斎王(内親王)が主宰してきた祭です。

「斎王代」とは斎王の代理という意味なのでしょうね。

 

葵祭は我が国最古の祭です。

上賀茂神社と下鴨神社の祭で、正式名称を「賀茂祭」と言います。

長く国家行事とされ平安貴族の「祭」はこの祭を指すというほど。

旧歴四月の中酉の日を新暦に当てはめると5月15日になるのだそうです。

飛鳥時代に始まり平安遷都後、嵯峨天皇は最愛の姫君・有智子内親王を賀茂社に奉仕させ一身を神に捧げた内親王を斎王とし賀茂祭になったといいます。

 

祭の飾りに使う12,000枚といわれる大量の葵は総て本物という徹底ぶり。

斎王代はもとより祭儀に携わる人、お道具、牛車までもに葵と桂の枝をつけることから、葵祭と呼ばれるようになったそうです。

 

 

「葵」は「あふひ」と書き、神に逢う日という意味です。

 

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「源氏物語」の「車争い」はこの祭見物で起きた事件。

 

「葵の巻」で賀茂斎院の御禊(みそぎ)の行列に加わった光源氏の姿を見ようと犇(ひしめ)く群衆の中、葵上(あおいのうえ)の一行と六条御息所(ろくじょうみやすどころ)の一行とが牛車の置き場所を巡って争いを起こすシーンです。

 

葵上はもののけに憑かれたように亡くなる。

巷では車争いで辱めを受けた御息所の生き霊ではないかと噂が立ち、それを耳にした御息所は苦悶するというお話です。

 

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京都には衰退し歴史の中に埋もれてしまう史跡も多い。

 

数十年ぶりに七野社に足を向けた。

神主不在になって久しい。

 

子供が大勢いた賑わいを重ね合わせる。

 

鬱蒼としていた大木の太い枝も切り払われ陽射しいっぱいの境内。

意外に掃除が行き届いていた。

でも家があちこちに建ち貸ガレージスペースだらけで、この先どうするつもりなんだろと悲しい気持ちになりました。

 

 

会釈をしてくださる一組の老夫婦。

三度目の訪問だと仰った。

 

 

足を踏み入れることも無く疎遠になった神社。

葵祭の斎王のいらした御所の跡。

 

栄枯盛衰は世の慣わし。

 

静けさの中、歴史を感じさせる荘厳さ。

お詣りだけして帰りました。

 

物騒な時代だし、大人も子供も忙しそうだけど、居場所って大事なことだと思いました。

 

 

 

コメント

  1. ピンバック: 桃園の宮

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