旧暦が密かに生き続ける京都。
本来の大晦日たる節分に行われるその節分大祭の吉田さんは、極めて気合が入る。
都の表鬼門の守護神として創建された吉田神社。
厄除けの神様として篤い信仰を集め、高い集客力を誇る。
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とにかく吉田の節分は、異常です。
何が異常かといえば、熱狂の温度感かなと。
2日の追儺式(ついなしき)、3日の火炉祭(かろさい)ともに殺人的混雑です。
しかし、どこかみんな醒めている。
その感じが、吉田の節分独特の不気味さと魅力を生んでいるのでしょう。
八百軒もある屋台は、京都の行事の中で群を抜いて最大。
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節分は一年の終わりです。
だから、ほんとの年越しです。
先年の穢れを祓い新年へ向かうための年越蕎麦。
これがまたすっごい行列なのです。
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辛み大根と細切り海苔の入った蕎麦。
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太古の追儺には鬼は現れなかったそうです。
一年の穢れを祓うべく大晦日に宮中行事として行われていた追儺。
「鬼」は「おぬ」 が語源ともいう。
真の鬼はやはり姿が見えないものか。
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見えない理由は、
鬼が私たちの中に棲むから。
というか、私たち自身も、鬼だから。
古式に則りなやらったかといえば、ひたすら殺人的混雑に振り回されただけですが。。。
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