画家・池田遙邨の絵に種田山頭火の托鉢姿が現れたのは、東京を皮切りに京都・大阪・岡山の髙島屋を巡る個展の出品作「山頭火が行く」(1984)であった。
けふもいちにち風を歩いてきた 山頭火
そして髙島屋美術部創設八〇年記念「放浪と行乞の旅に魅せられてー池田遙邨展」(1988)が開催され13点の山頭火シリーズを出品した。既に90歳を超えていた遙邨が半年に満たぬ間にこんなシリーズを創造したのは驚異的であった。もう画面に旅僧の姿は無かった。
行きくれてなんとここらの水のうまさは 山頭火
同年8月、体調を壊し、日展出品のため制作を始めていた《家を持たない秋がふかうなつた 山頭火》の制作を中止し、そのまま入院。9月29日逝去。享年92歳。
『百歳まで生きて「山頭火シリーズ」を100枚描く』
と語り、100枚達成はかなわなかったものの、珠玉の27枚が残された。
遙邨は自然と旅を愛した。
広重にならって、京都から東京まで徒歩による写生旅行を繰り返すほど旅が好きだったそうだ。
ムンクやゴヤに影響を受けた若い頃、京都画壇の巨匠、竹内栖鳳に師事するものの、貧しいものを描いては落選をくり返し、「暗く悲惨なものだけが真実ではない」と師に諭され、反発して京都を離れた過去もあったという。
分け入っても分け入っても青い山 山頭火
放浪を続けた山頭火の句の世界。
どの絵も、一見荒漠とした大自然を
気ままに
飄々として
楽しく
明るく
山頭火の自由な世界を軽いユーモアを交え描き出す。
心に染み入るような山頭火の句と
彼に共感を抱いて描かれた画伯の絵が
やがて一体となり画面から旅僧が消えたのかもしれない。
句が先か、絵が先か分からなくなるほど一体化している。
あすもあたたかう歩かせる星がでている 山頭火
画伯が晩年傾倒した種田山頭火(1882- 1940)は、明治から昭和にかけて生きた俳人で、季語に捕らわれない、自由律俳句を残した。
幼くして母を自殺で無くし、実家が破産、父と弟も自殺で失い、酒好きで自身も身を崩し生活苦から自殺未遂をおこす。
妻子を捨てて、托鉢をしながら各地を歩き、その後14年間を、放浪と、行乞と、酒と、句作に費やして58歳で命ついえた漂泊の俳人である。
『味わう ―物そのものを味わう―
貧しい人は貧しさに徹する
愚かなものは愚かさに徹する
与えられた、というよりも持って生まれた性惰を尽くす
そこに人生、いや人生の意味があるのぢやあるまいか』
山頭火 「行乞記」