公式ショップ 公式ライン

四条大橋の明月

当主のひとりごと (BLOG) 2024.09.17

中秋の名月です。

と言っても十五夜で満月ではありません。

 

京都は何処を取り上げても歴史や話題が積もりに積もる。

まして四条ともなれば題材が多すぎて・・・

けれど現在の四条通は、以前神戸の知人と南座の「鼓童」と玉三郎のコラボ公演を観に待ち合わせたとき「これが四条ですか、狭いですね」と言わしめたほど有名なわりに狭い。

 

かつての鴨川は現代より相当広く、東岸は仲源寺の辺り(ゑびす神社の道)まで、西岸は柳馬場(やなぎのばんば)辺りまで河原が広がっていた。普段は幾筋かの小川があった。
四条大橋は、公儀橋ではなく、庶民の手により架橋された仮橋だった。

 

四条通の東にある祇園社(八坂神社)と、西の元祇園(なぎ)神社という二つの社の間にあり、四条通は祇園社の門前町として発展し、祇園會(ぎをんゑ)との関わりも深い。

平安時代、1142年、祇園社参詣のため勧進聖(かんじんひじり)の寄付活動により板橋が架けられた。架橋の最も古い記録になる。(祇園社「社家記録」)

月の空から見下ろした京の街をいくつか帯にしました。

「明月記」という袋帯です。

 

祇園會(も祇園社の神様は四条大橋を東に渡った御旅所にお渡りになるし、

現代でも祇園の舞妓は一定年に満たなければ

「うち、まだ橋渡ったらあかんのおす」と言ったりする。

そういうことを聞くにつけ、「越える・越えてはならぬ」を分ける「橋」の重みを感じざるを得ない。

 

 

 

島崎藤村(1872-1943)の新生には、四条大橋界隈の描写がある。フランスから帰国した藤村は、京都にしばらく滞在している。

 

新生

島崎藤村

第二巻 十六

 

 京都の宿には、大阪で落合った巴里馴染の画家が岸本より

先に着いていた。宿の裏の河原、涼み台、岸に咲くあか柘榴ざくろ

の花、四条の石橋の下の方からはしり流れて来る鴨川かもがわの水――

そこまで行くと、欧羅巴ヨーロッパの戦争も何処どこにあるかと思わるほど

静かであった。まだ半ば長途の旅行者のような岸本の心は

休むということを知らなかった。京都には巴里の下宿で食卓

を共した千村教授がある。帰国後はもう助教授と言わな

で教授の位置に進んだ、仏蘭西フランス旅でも格別懇意にした高瀬

がある。それらの人達に逢う楽みに加えて、宿にはまたリオ

ンの方に滞在する岡のうわさや巴里のシモンヌの噂などの出る

画家がある。

鴨川の一日は岸本に取って見るもの聞くもの応接にいとまの

くらいであった。こうして京都に着いた翌日には、ひど

彼も疲労つかれの出たのを覚えた。彼は東京の方へ帰って行った

多忙いそがしさを予想して、せめて半日その宿の二階座敷寝転ねころ

んで行こうとした。

同じ部屋には旅行用の画具なぞをひろげた画家が居て、

「巴里連中ですか。僕はまだ誰にも逢いませんよ。

めったに皆と一緒になるような機会も有りませんよ。

国へ帰ると、みんな澄ますよう成っちゃって駄目ですね

――ちっとも面白か無い」

こんな話をしながら画作に余念の無い人の側で、時には宿の

女中が階下したから上って来て話し聞かせる上方言葉をもめずら

く思いながら、岸本は苦しいほど疲れた自分の身体を休め

行こうとした。三年異郷で掛けることに慣れて来た彼

は、畳の上で坐り直して見るにさえ骨が折れた。ひざあし

痛かった。彼は胡坐あぐらして見たり、寝転んで見たりした。

まだ彼はほんとうに身体を休めるというところまで行かな

かった。本が意を決して西京を発とうとしたのはその夕

方であった。東京の方へ向おうとする彼の足はまるで鎖に

でもつながれているのを引摺ひきずって行くように重かった。

 

 

 

 

新生』は、主人公の岸本捨吉と、その姪の越えてはならぬ関係を大胆に暴露した異常な告白小説。世に「新生事件」として知られる。

島崎藤村が姪の島崎こま子と関係を持った自身の実話をモデルにしている。

藤村はキリスト教徒であり、懺悔のような気持ちで綺麗な世の中を作っていこうという理想的な世界を求めているように思えるが、21歳の姪のこま子に手を出した41歳だった。そしてこま子の妊娠がわかると、自分だけフランスに逃げるという卑怯者と思われても仕方ないことをした。帰国後、京都に寄った。

芥川龍之介は「或る阿呆の一生」で「『新生』の主人公ほど老獪(ろうかい)な偽善者に出会ったことはなかった」と非難した。

これに対し、藤村は芥川の自殺後に「芥川龍之介君のこと」という追悼文で芥川の「新生」への感想について「あの作の主人公がそんな風に芥川君の眼に映ったかと思った」「私があの『新生』で書こうとしたことも、その自分の意図も、芥川君には読んでもらえなかったろう」とコメントしている。

コメントを残す

*