大文字の 送り火燃ゆと いふ聲す
酒はや盡くと 寂しみ居れば 勇
日が暮れてから間もなく、ぼんやり長火鉢の傍で一酌していると、
「あッ、火が点いたえ。」
「おお、綺麗なこと。」
「早う出てみてお見やす。」
という何処かでけたたましく叫びかわす声 。急いで二階に駈け上がつて見ると、とっぷりと暮れた宵闘の、真っ暗な空を焦さむばかり、直ぐ目の前で大文字の火が、焔々として燃え上がっている。昼間思ったよりも更に近く、渦を巻いている火煙や、その周りをうろうろしている黒い人影などはっきり見えて、そこら一面あかあかと、夕日を浴びたように明るい 。
吉井勇がここで描いている送り火の光景は、昭和14年(1939)年頃のこと。
五山の送り火は戦争中の昭和18年(1943)から灯火管制や薪不足が理由で中止になりますが(昭和21年に再開)この頃まだゆったりとした時代の空気が流れています。
今年もつつがなく大文字の送り火でお精霊さん(ご先祖)をお見送り。
一夜明けたら、からけし拾いです。
「から消し」とは火床に残った「消し炭」のこと。
夜明け前から徐々に人影が増えてきます。まだ4時過ぎ。
真下から見ると「大」の字も分かりづらいですね。
昨夜、松明行列の通った路を山の入り口・カルメル会修道院前で待機。
待ちくたびれた頃、修道院の人が開門してくれました。
アスファルトの急坂を登ると今度はほんまの登山口。
保存会の会長が鍵を持って現れるまでまた待機。
この山は大阪の人が地主で、書類に署名してようやく入山。
九十九折りもなくまっすぐ登るので時短だけど急坂です。
おそらく薪を火床に運んだレールでしょうか。
なんか消化用のポンプでしょうか?
急に視界に火床が見えます。
私の前にお若い方がお二人。登るの早っ!
後からも続々登ってきます。
わずか10分でこの高さです。
完璧に一番乗りなのに、期待よりから消しが少なく細かい。
せっかく登った証に知らない人にシャッターをお願いした。
この人たちは毎年から消し拾いに来てるのでしょうか?
ようやく射してきた陽を見渡すと比叡山からの日の出。
みなさんそれほど大きなから消しは持っていなさそうです。
下山です。
あれ⁉️
よく見ると道にいっぱい細かなから消しが落ちてますよ。
どうやら昨夜遅く鎮火してから目ぼしいから消しは下ろしたようです。
「からけし」なのか「残りかす」か、よう知らんけど。。。
持ち帰った「から消し」は
奉書紙に巻いて水引をかけ軒先に吊るすのです。
魔除け・厄除け・盗難避けのお守りで、煎じて飲むと腹痛が治り病気封じになると云う。京都人の験担ぎ。
白い和紙で包むのはその品物自体を清める意味がある。
余談ですが
風呂敷に包むのは大切な品物ですということの表現。
和紙にも風呂敷にも包み方には作法があります。
重ね合わせた時、向かって右が必ず上にくるように包む。
着物を着せていると考えれば解りやすい。
反対だと不祝儀ですよね。
もの言わぬものにものを言わせる
京都人の好む心遣い。
※ちなみに「左大文字山」という山は存在しない。単に「大文字山」です。
送り火を「左大文字」と呼ぶので敢えて「左大文字山」としました。