隔靴掻痒
「かっかそうよう」と読みます。
履き物に足が届かず痒いところに手が届かない。
歳をとるほど異常な暑さは身に沁みます。
実は2年前の丁度お盆の日、不思議な出来事がありました。
会社の座敷の棚に「光琳かるた」があるので持ち帰ろうと鞍掛に上ったら隣に頃合いの古びているけど素敵な柳行李を見つけた。
蓋を開け中身を見たら訳のわからないモノが入ってました。
時代祭なんかで裃姿で行列している人の被る平べったいちっちゃな菅笠に見えました。
もっと底を探ると古びた赤い紙もありました。
一瞬ではそれが何かわからないので畳に下ろして見ました。
実は父の法要がコロナのため1年遅れてしまっていて、1年延期になりました。うちは浄土宗で百万遍知恩寺ですが、年頭に法事にあたる人の名が庫裡の入口に貼り出されます。
すると、
7番目に童女の戒名の人が記されておりました。
確か父の上の姉が乳飲み子の頃ジフテリアに罹って亡くなっていると聞いた記憶があります。年代からしてもその人だと思いました。
先祖に関心の薄い私は祖母の言う話を上の空でしか聞いていませんでした。「おしげ」さんと記憶していました。
知った以上、父の法要だけともいかず、姉の法要も。
話を柳行李に戻すと、紙箱の中に父の兄弟の臍の緒と髪の毛とともに第一期種痘濟證「秀三郎 女 浅山志ず 大正九年十一月生」という赤い紙が。。。
おしげさんでなく志ずさんでした。
父は熟年に差し掛かった頃から急にあるものの存在が気に掛かったようでした。
祖母に幾度となくしまい場所を尋ねていましたが祖母も知らなかったのです。
それは我が家の家宝たるべき天皇陛下の草履なのです。
私が「それ、どんな形?」と尋ねたら、両手で小判形を作って見せました。そのまま10年も20年経っても出て来ないまま、祖母も父も亡くなりました。
父は自分の父親か父の祖母から幼少の頃、見せられたのかもしれません。
天皇さんの「およじの草履」と言うのです。
「およじ」とは京言葉で「便所」を意味します。
だから私も父も私の祖母も、頭の片隅で、いくら祖父の母が御所勤の女官だったにしろ、賜り物に「およじの草履」なんてと馬鹿にしてたところがあります。
先ほどの柳行李にあった菅笠に見えたもの。