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お精霊さん

当主のひとりごと (BLOG) 2023.08.13

隔靴掻痒

「かっかそうよう」と読みます。

履き物に足が届かず痒いところに手が届かない。

歳をとるほど異常な暑さは身に沁みます。

 

実は2年前の丁度お盆の日、不思議な出来事がありました。

 

会社の座敷の棚に「光琳かるた」があるので持ち帰ろうと鞍掛に上ったら隣に頃合いの古びているけど素敵な柳行李を見つけた。

蓋を開け中身を見たら訳のわからないモノが入ってました。

時代祭なんかで裃姿で行列している人の被る平べったいちっちゃな菅笠に見えました。

もっと底を探ると古びた赤い紙もありました。

一瞬ではそれが何かわからないので畳に下ろして見ました。

 

 

実は父の法要がコロナのため1年遅れてしまっていて、1年延期になりました。うちは浄土宗で百万遍知恩寺ですが、年頭に法事にあたる人の名が庫裡の入口に貼り出されます。

すると、

 

7番目に童女の戒名の人が記されておりました。

確か父の上の姉が乳飲み子の頃ジフテリアに罹って亡くなっていると聞いた記憶があります。年代からしてもその人だと思いました。

先祖に関心の薄い私は祖母の言う話を上の空でしか聞いていませんでした。「おしげ」さんと記憶していました。

知った以上、父の法要だけともいかず、姉の法要も。

 

 

話を柳行李に戻すと、紙箱の中に父の兄弟の臍の緒と髪の毛とともに第一期種痘濟證「秀三郎 (むすめ) 浅山志ず 大正九年十一月生」という赤い紙が。。。

おしげさんでなく志ずさんでした

お盆にこの志ずさんが百回忌の礼に教えてくれたのかもしれません。

お盆のミステリーですね。

古い戸籍を取って気づきました。
現代では子供が生まれたり人が亡くなっても区役所に届出ないと国や市町村のサービスも受けられませんが、大正の頃は別段必要もなかったようです。祖父母の婚姻届も子供が生まれた届も、父が生まれた時に同時に届け出たようです。区役所の職員さんに言わせると我が家の戸籍は年月日が合ってるだけマシで、年齢すら合ってない戸籍はザラだそうです。
つまり父が生まれた時に婚姻届と出生届を出したものですから、志ずさんは戸籍に存在していないので私も知らなかったのです。
父は熟年に差し掛かった頃から急にあるものの存在が気に掛かったようでした。

祖母に幾度となくしまい場所を尋ねていましたが祖母も知らなかったのです。

それは我が家の家宝たるべき天皇陛下の草履なのです。

私が「それ、どんな形?」と尋ねたら、両手で小判形を作って見せました。そのまま10年も20年経っても出て来ないまま、祖母も父も亡くなりました。

父は自分の父親か父の祖母から幼少の頃、見せられたのかもしれません。

天皇さんの「およじの草履」と言うのです。

「およじ」とは京言葉で「便所」を意味します。

だから私も父も私の祖母も、頭の片隅で、いくら祖父の母が御所勤の女官だったにしろ、賜り物に「およじの草履」なんてと馬鹿にしてたところがあります。

先ほどの柳行李にあった菅笠に見えたもの。

 

これって、、、、、もしかして、、、、、

鼻緒は藁に白い分厚く柔らかい和紙が巻きつけてあります。

草履の天は編むと言うより平たい竹の皮を折り曲げて並べたクッションのよいものです。

わざわざ厠にこんな上質な草履を?

実物を見れば調べやすくなります。

御召緒太草履(おんめしおぶとのぞうり)というものらしいのです。

新天皇即位後に行われる大嘗祭や新嘗祭などの神事にお召しになられる御根太草履です。

ちっちゃい桐箱もあったので開けてみると「大正四年大禮恩賜」と盃の胴に金字で書かれた見込(底)に「養老」とある塗りの盃。

この年号で宮中行事を調べてみたら、
大正天皇の即位礼は大正四年(1915)11月10日於京都御所、大嘗祭が同年11月14日・15日とありました。

こんな畏れ多い賜物を拝す曽祖母って何者?

 

下女中どころか女官?

ちっちゃい桐箱もあったので開けてみると「大正四年大禮恩賜」と盃の胴に金字で書かれた見込(底)に「養老」とある塗りの盃。

この年号で宮中行事を調べてみたら、

大正天皇の即位礼は大正四年(1915)11月10日於京都御所、大嘗祭が同年11月14日・15日とありました。

こんな畏れ多い賜物を拝す曽祖母って何者?

下女中どころか女官?

「およじのお雛はん」が「陰陽師(おんようじ)のお雛はん」だったように今回も聞き損じ?

柳行李は父の部屋の棚にありました。祖母の子の臍の緒と共に。
柳行李に中身を入れたのは祖母。棚に上げたのは父です。

つまりは父も祖母もこれを草履と認識していなかったと推察できます。祖父までもです。「およじ」という言葉も祖父母は知らないようです。江戸時代の人で途絶えてしまった言葉や風習のようです。

 

 

「そういえば」というフレーズはこの種の話にはありがちです。

曽祖母は昔の人には珍しく名が漢字でした。

 

奇妙な話を聞いたことがあります。

 

曽祖母が伏せっていた時、嫁である祖母に小用を足すのに重箱を持ってこさせた話。

滑稽談と思っていましたが、やんごとなき人って塗りの文箱で用を足したって聞いたことあります。

 

 

御召緒太草履、何処で調べればいいのでしょう?

 

宮内庁?博物館?

コメント

  1. ライナス より:

    厠で草履や下駄に履き替えることが昔から行われていますので、陛下が厠で使用されたものというのもありえます。鶴穂と呼ばれる長い稲穂だけを使用している様で、表側には節がなく、裏側に少し節が確認できます。裏側の処理の仕方が、他の製法では見かけない方法なので参考になるものが見つかればと思います。陛下にお尋ねする機会があればいいのですが…、なかなかないですよね。

    1. asayama-staff より:

      草履を深く研究されているのですね。

      厠の草履は流石に賜らないと思います🤭

      大嘗祭というのは天照大神の元へ出向かれる行事で、雲を踏むにあやかって菰を踏むということで藁を回廊に敷き詰めた上をお歩きになってお篭りになると聞いたことがあります。

      今となっては知り得ないやんごとなき世界のことなので、別に売ろうと考えてるわけでもなし、大事に保管しておこうと思っています。

      しっかし、このページに辿り着かれたのはGoogle検索からでしょうか?

  2. ライナス より:

    興味があって私もこの草履に辿り着きました。文献は少ないですが、調べればちゃんと出てきます。大正12年の献上が最後の様です。平安時代からずっと献上し続けてきたすごい草履であります。神事で使用される草履は捨てられてしまうのかと思っていましたが、思いの外捨てられずに各地で保存されているみたいです。かなり特殊な作り方で外からの見た目でどうやったらこうなるか思案中です。

    1. asayama-staff より:

      最近は図書館に行かなくも調べ物に辿り着けるようになりましたね。
      この草履は「およじ」の草履だと我が家では伝わってきました。
      「陰陽師」を「およじ」と呼ぶのは明治生まれの祖父母さえ知らなかったようです。
      そもそもこの形は草履より笠に近いです。

      貴重なコメント、ありがとうございます😊

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