公式ショップ 公式ライン

羅生門

当主のひとりごと (BLOG) 2025.12.03

 

京都へ来られる時、京都駅に降り立つ人も多い。

京都駅北側のメルパルク京都前に羅生門が出迎えてくれる。

 

平安建都千二百年を記念して、附属施設ともの全体が幅8m、奥行3.6m、高さ2.4mの元の10分の1大型模型が,平成6年(1994)に京都府建築工業協同組合の手で製作されたものだ。

 

 

古代都市を取り囲む城壁を羅城(らじょうと言い、そこに開かれた門を羅城門と呼んだ。

平安京の羅城門は、朱雀大路(すざくおおじ)の南端に建てられた都の正門。

呉音で「らじょうもん」,漢音では「らせいもん」です。

『宇治大納言物語』には「らいせい門」、『拾芥抄』の「らしょう門」は俗称とされていたのを、中世の観世信光(かんぜのぶみつ)作の謡曲「羅生門」の影響からか「らしょうもん」が一般化したようです。

近代以降、『羅生門』と言えばやはり芥川龍之介でしょう。

黒澤明は『羅生門』という映画を作ったが、内容は『藪の中』であった。

海外で上映された当時、日本人を見たら

“Rashomon””Rashomon”と言ったそうです。

 

 

物語は登場人物が順番に語り手になって物語を進めていという構成になっています。

検非違使からある殺人事件の証言を求められた木樵り・旅法師・放免・媼・多襄丸・眞砂(まさご)・金澤武弘の7人が事件の真相を語っていきます。

 

 

検非違使けびいしに問われたる木樵きこりの物語

さようでございます。あの死骸しがいを見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝けさいつもの通り、裏山の杉を伐きりに参りました。すると山陰やまかげの藪やぶの中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科やましなの駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩やせ杉の交まじった、人気ひとけのない所でございます。


死骸は縹はなだの水干すいかんに、都風みやこふうのさび烏帽子をかぶったまま、仰向あおむけに倒れて居りました。何しろ一刀ひとかたなとは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳すほうに滲しみたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口も乾かわいて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅うまばえが一匹、わたしの足音も聞えないように、べったり食いついて居りましたっけ。
太刀たちか何かは見えなかったか? いえ、何もございません。ただその側の杉の根がたに、縄なわが一筋落ちて居りました。それから、――そうそう、縄のほかにも櫛くしが一つございました。死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。が、草や竹の落葉は、一面に踏み荒されて居りましたから、きっとあの男は殺される前に、よほど手痛い働きでも致したのに違いございません。何、馬はいなかったか? あそこは一体馬なぞには、はいれない所でございます。何しろ馬の通かよう路とは、藪一つ隔たって居りますから。

 

検非違使に問われたる旅法師たびほうしの物語

あの死骸の男には、確かに昨日きのう遇あって居ります。昨日の、――さあ、午頃ひるごろでございましょう。場所は関山せきやまから山科やましなへ、参ろうと云う途中でございます。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。女は牟子むしを垂れて居りましたから、顔はわたしにはわかりません。見えたのはただ萩重はぎがさねらしい、衣きぬの色ばかりでございます。馬は月毛つきげの、――確か法師髪ほうしがみの馬のようでございました。丈たけでございますか? 丈は四寸よきもございましたか? ――何しろ沙門しゃもんの事でございますから、その辺ははっきり存じません。男は、――いえ、太刀たちも帯びて居おれば、弓矢も携たずさえて居りました。殊に黒い塗ぬり箙えびらへ、二十あまり征矢そやをさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。


あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、真まことに人間の命なぞは、如露亦如電にょろやくにょでんに違いございません。やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。

検非違使に問われたる放免ほうめんの物語

わたしが搦からめ取った男でございますか? これは確かに多襄丸たじょうまると云う、名高い盗人ぬすびとでございます。

もっともわたしが搦からめ取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口あわだぐちの石橋いしばしの上に、うんうん呻うなって居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜さくやの初更しょこう頃でございます。いつぞやわたしが捉とらえ損じた時にも、やはりこの紺こんの水干すいかんに、打出うちだしの太刀たちを佩はいて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえ携たずさえて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。革かわを巻いた弓、黒塗りの箙えびら、鷹たかの羽の征矢そやが十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。はい。馬もおっしゃる通り、法師髪ほうしがみの月毛つきげでございます。その畜生ちくしょうに落されるとは、何かの因縁いんねんに違いございません。それは石橋の少し先に、長い端綱はづなを引いたまま、路ばたの青芒あおすすきを食って居りました。
この多襄丸たじょうまると云うやつは、洛中らくちゅうに徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。昨年の秋鳥部寺とりべでらの賓頭盧びんずるの後うしろの山に、物詣ものもうでに来たらしい女房が一人、女めの童わらわと一しょに殺されていたのは、こいつの仕業しわざだとか申して居りました。その月毛に乗っていた女も、こいつがあの男を殺したとなれば、どこへどうしたかわかりません。差出さしでがましゅうございますが、それも御詮議ごせんぎ下さいまし。

検非違使に問われたる媼おうなの物語

はい、あの死骸は手前の娘が、片附かたづいた男でございます。が、都のものではございません。若狭わかさの国府こくふの侍でございます。名は金沢かなざわの武弘、年は二十六歳でございました。いえ、優しい気立きだてでございますから、遺恨いこんなぞ受ける筈はございません。
娘でございますか? 娘の名は真砂まさご、年は十九歳でございます。これは男にも劣らぬくらい、勝気の女でございますが、まだ一度も武弘のほかには、男を持った事はございません。顔は色の浅黒い、左の眼尻めじりに黒子ほくろのある、小さい瓜実顔うりざねがおでございます。
武弘は昨日きのう娘と一しょに、若狭へ立ったのでございますが、こんな事になりますとは、何と云う因果でございましょう。しかし娘はどうなりましたやら、壻むこの事はあきらめましても、これだけは心配でなりません。どうかこの姥うばが一生のお願いでございますから、たとい草木くさきを分けましても、娘の行方ゆくえをお尋ね下さいまし。何に致せ憎いのは、その多襄丸たじょうまるとか何とか申す、盗人ぬすびとのやつでございます。壻ばかりか、娘までも………(跡は泣き入りて言葉なし)

 

 

多襄丸たじょうまるの白状

あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。ではどこへ行ったのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お待ちなさい。いくら拷問ごうもんにかけられても、知らない事は申されますまい。その上わたしもこうなれば、卑怯ひきょうな隠し立てはしないつもりです。


わたしは昨日きのうの午ひる少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子ひょうしに、牟子むしの垂絹たれぎぬが上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩にょぼさつのように見えたのです。わたしはその咄嗟とっさの間あいだに、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。
何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。どうせ女を奪うばうとなれば、必ず、男は殺されるのです。ただわたしは殺す時に、腰の太刀たちを使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派りっぱに生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)
しかし男を殺さずとも、女を奪う事が出来れば、別に不足はない訳です。いや、その時の心もちでは、出来るだけ男を殺さずに、女を奪おうと決心したのです。が、あの山科やましなの駅路では、とてもそんな事は出来ません。そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫くふうをしました。
これも造作ぞうさはありません。わたしはあの夫婦と途みちづれになると、向うの山には古塚ふるづかがある、この古塚を発あばいて見たら、鏡や太刀たちが沢山出た、わたしは誰も知らないように、山の陰の藪やぶの中へ、そう云う物を埋うずめてある、もし望み手があるならば、どれでも安い値に売り渡したい、――と云う話をしたのです。男はいつかわたしの話に、だんだん心を動かし始めました。それから、――どうです。欲と云うものは恐しいではありませんか? それから半時はんときもたたない内に、あの夫婦はわたしと一しょに、山路やまみちへ馬を向けていたのです。
わたしは藪やぶの前へ来ると、宝はこの中に埋めてある、見に来てくれと云いました。男は欲に渇かわいていますから、異存いぞんのある筈はありません。が、女は馬も下りずに、待っていると云うのです。またあの藪の茂っているのを見ては、そう云うのも無理はありますまい。わたしはこれも実を云えば、思う壺つぼにはまったのですから、女一人を残したまま、男と藪の中へはいりました。

藪はしばらくの間あいだは竹ばかりです。が、半町はんちょうほど行った処に、やや開いた杉むらがある、――わたしの仕事を仕遂げるのには、これほど都合つごうの好いい場所はありません。わたしは藪を押し分けながら、宝は杉の下に埋めてあると、もっともらしい嘘をつきました。男はわたしにそう云われると、もう痩やせ杉が透いて見える方へ、一生懸命に進んで行きます。その内に竹が疎まばらになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。男も太刀を佩はいているだけに、力は相当にあったようですが、不意を打たれてはたまりません。たちまち一本の杉の根がたへ、括くくりつけられてしまいました。縄なわですか? 縄は盗人ぬすびとの有難さに、いつ塀を越えるかわかりませんから、ちゃんと腰につけていたのです。勿論声を出させないためにも、竹の落葉を頬張ほおばらせれば、ほかに面倒はありません。


わたしは男を片附けてしまうと、今度はまた女の所へ、男が急病を起したらしいから、見に来てくれと云いに行きました。これも図星ずぼしに当ったのは、申し上げるまでもありますまい。

女は市女笠いちめがさを脱いだまま、わたしに手をとられながら、藪の奥へはいって来ました。ところがそこへ来て見ると、男は杉の根に縛しばられている、

――女はそれを一目見るなり、いつのまに懐ふところから出していたか、きらりと小刀さすがを引き抜きました。わたしはまだ今までに、あのくらい気性の烈はげしい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油断していたらば、一突きに脾腹ひばらを突かれたでしょう。いや、それは身を躱かわしたところが、無二無三むにむざんに斬り立てられる内には、どんな怪我けがも仕兼ねなかったのです。

 

が、わたしも多襄丸たじょうまるですから、どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀さすがを打ち落しました。いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありません。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。


男の命は取らずとも、――そうです。わたしはその上にも、男を殺すつもりはなかったのです。所が泣き伏した女を後あとに、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋すがりつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥はじを見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、――そうも喘あえぎ喘ぎ云うのです。わたしはその時猛然と、男を殺したい気になりました。(陰鬱なる興奮)


こんな事を申し上げると、きっとわたしはあなた方より残酷ざんこくな人間に見えるでしょう。しかしそれはあなた方が、あの女の顔を見ないからです。殊にその一瞬間の、燃えるような瞳ひとみを見ないからです。わたしは女と眼を合せた時、たとい神鳴かみなりに打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、――わたしの念頭ねんとうにあったのは、ただこう云う一事だけです。これはあなた方の思うように、卑いやしい色欲ではありません。もしその時色欲のほかに、何も望みがなかったとすれば、わたしは女を蹴倒けたおしても、きっと逃げてしまったでしょう。男もそうすればわたしの太刀たちに、血を塗る事にはならなかったのです。が、薄暗い藪の中に、じっと女の顔を見た刹那せつな、わたしは男を殺さない限り、ここは去るまいと覚悟しました。
しかし男を殺すにしても、卑怯ひきょうな殺し方はしたくありません。わたしは男の縄を解いた上、太刀打ちをしろと云いました。(杉の根がたに落ちていたのは、その時捨て忘れた縄なのです。)

男は血相けっそうを変えたまま、太い太刀を引き抜きました。と思うと口も利きかずに、憤然とわたしへ飛びかかりました。

――その太刀打ちがどうなったかは、申し上げるまでもありますまい。わたしの太刀は二十三合目ごうめに、相手の胸を貫きました。二十三合目に、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思っているのです。わたしと二十合斬り結んだものは、天下にあの男一人だけですから。(快活なる微笑)
わたしは男が倒れると同時に、血に染まった刀を下げたなり、女の方を振り返りました。すると、――どうです、あの女はどこにもいないではありませんか? わたしは女がどちらへ逃げたか、杉むらの間を探して見ました。が、竹の落葉の上には、それらしい跡あとも残っていません。また耳を澄ませて見ても、聞えるのはただ男の喉のどに、断末魔だんまつまの音がするだけです。
事によるとあの女は、わたしが太刀打を始めるが早いか、人の助けでも呼ぶために、藪をくぐって逃げたのかも知れない。――わたしはそう考えると、今度はわたしの命ですから、太刀や弓矢を奪ったなり、すぐにまたもとの山路やまみちへ出ました。そこにはまだ女の馬が、静かに草を食っています。その後ごの事は申し上げるだけ、無用の口数くちかずに過ぎますまい。ただ、都みやこへはいる前に、太刀だけはもう手放していました。――わたしの白状はこれだけです。どうせ一度は樗おうちの梢こずえに、懸ける首と思っていますから、どうか極刑ごっけいに遇わせて下さい。(昂然こうぜんたる態度)

 

清水寺に来れる女の懺悔

――その紺こんの水干すゐかんを着きた男をとこは、わたしを手てごめにしてしまふと、縛しばられた夫をつとを眺ながめながら、嘲あざけるやうに笑わらひました。夫をつとはどんなに無念むねんだつたでせう。が、いくら身悶みもだえをしても、體中からだぢうにかかつた繩目なわめは、一層そうひしひしと食くひ入いるだけです。わたしは思おもはず夫をつとの側そばへ、轉まろぶやうに走はしり寄よりました。いえ、走はしり寄よらうとしたのです。しかし男をとこは咄嗟とつさの間まに、わたしを其處そこへ蹴倒けたふしました。丁度ちやうどその途端とたんです。わたしは夫をつとの眼めの中なかに、何なんとも云いひやうのない輝かがやきが、宿やどつてゐるのを覺さとりました。何なんとも云いひやうのない、――わたしはあの眼めを思おもひ出だすと、今いまでも身震みぶるひが出でずにはゐられません。

口くちさへ一言ひとことも利きけない夫をつとは、その刹那せつなの眼めの中なかに、一切さいの心こころを傳つたへたのです。しかも其處そこに閃ひらめいてゐたのは、怒いかりでもなければ悲かなしみでもない、――唯ただわたしを蔑さげすんだ、冷つめたい光ひかりだつたではありませんか? わたしは男をとこに蹴けられたよりも、その眼めの色いろに打うたれたやうに、我われ知しらず何なにか叫さけんだぎり、とうとう氣きを失うしなつてしまひました。
その内うちにやつと氣きがついて見みると、あの紺こんの水干すゐかんの男をとこは、もう何處どこかへ行いつてゐました。跡あとには唯ただ杉すぎの根ねがたに、夫をつとが縛しばられてゐるだけです。わたしは竹たけの落葉おちばの上うへに、やつと體からだを起おこしたなり、夫をつとの顏かほを見守みまもりました。が、夫をつとの眼めの色いろは、少すこしもさつきと變かはりません。やはり冷つめたい蔑さげすみの底そこに、憎にくしみの色いろを見みせてゐるのです。恥はづかしさ、悲かなしさ、腹立はらだたしさ、――その時ときのわたしの心こころの中うちは、何なんと云いへば好よいかわかりません。わたしはよろよろ立たち上あがりながら、夫をつとの側そばへ近寄ちかよりました。

「あなた。もうかうなつた上うへは、あなたと御ご一しよには居をられません。わたしは一思ひとおもひに死しぬ覺悟かくごです。しかし、――しかしあなたもお死しになすつて下ください。あなたはわたしの恥はぢを御覽ごらんになりました。わたしはこのままあなた一人ひとり、お殘のこし申まをす譯わけには參まゐりません。」
わたしは一生しやう懸命けんめいに、これだけの事ことを云いひました。それでも夫をつとは忌いまはしさうに、わたしを見みつめてゐるばかりなのです。わたしは裂さけさうな胸むねを抑おさへながら、夫をつとの太刀たちを探さがしました。が、あの盜人ぬすびとに奪うばはれたのでせう、太刀たちは勿論もちろん弓矢ゆみやさへも、藪やぶの中なかには見當みあたりません。しかし幸さいはひ小刀さすがだけは、わたしの足あしもとに落おちてゐるのです。わたしはその小刀さすがを振ふり上あげると、もう一度ど夫をつとにかう云いひました。
「ではお命いのちを頂いただかせて下ください。わたしもすぐにお供ともします。」


夫をつとはこの言葉ことばを聞きいた時とき、やつと唇くちびるを動うごかしました。勿論もちろん口くちには笹ささの落葉おちばが、一ぱいにつまつてゐますから、聲こゑは少すこしも聞きこえません。が、わたしはそれを見みると、忽たちまちその言葉ことばを覺さとりました。夫をつとはわたしを蔑さげすんだ儘まま、「殺ころせ」と一言ひとこと云いつたのです。わたしは殆ほとんど、夢ゆめうつつの内うちに、夫をつとの縹はなだの水干すゐかんの胸むねへ、ずぶりと小刀さすがを刺さし通とほしました。
わたしは又またこの時ときも、氣きを失うしなつてしまつたのでせう。やつとあたりを見みまはした時ときには、夫をつとはもう縛しばられた儘まま、とうに息いきが絶たえてゐました。その蒼あをざめた顏かほの上うへには、竹たけに交まじつた杉すぎむらの空そらから、西日にしびが一ひとすぢ落おちてゐるのです。わたしは泣なき聲こゑを呑のみながら、死骸しがいの繩なはを解とき捨すてました。さうして、――さうしてわたしがどうなつたか? それだけはもうわたしには、申まをし上あげる力ちからもありません。兎とに角かくわたしはどうしても、死しに切きる力ちからがなかつたのです。小刀さすがを喉のどに突つき立たててたり、山やまの裾すその池いけへ身みを投なげたり、いろいろな事こともして見みましたが、死しに切きれずにかうしてゐる限かぎり、これも自慢じまんにはなりますまい。(寂さびしき微笑びせう)わたしのやうに腑甲斐ふがひないものは、大慈大悲だいじだいひの觀世音菩薩くわんぜおんぼさつも、お見放みはなしなすつたものかも知しれません。しかし夫をつとを殺ころしたわたしは、盜人ぬすびとの手てごめに遇あつたわたしは、一體たいどうすれば好よいのでせう? 一體たいわたしは、――わたしは、――(突然とつぜん烈はげしき歔欷すすりなき)

 

巫女の口を借りたる死靈の物語

――盜人ぬすびとは妻つまを手てごめにすると、其處そこへ腰こしを下おろした儘まま、いろいろ妻つまを慰なぐさめ出だした。おれは勿論もちろん口くちは利きけない。體からだも杉すぎの根ねに縛しばられてゐる。が、おれはその間あひだに、何度なんども妻つまへ目めくばせをした。この男をとこの云いふ事ことを眞まに受うけるな、何なにを云いつても嘘うそと思おもへ、――おれはそんな意味いみを傳つたへたいと思おもつた。

しかし妻つまは悄然せうぜんと笹ささの落葉おちばに坐すわつたなり、ぢつと膝ひざへ目めをやつてゐる。それがどうも盜人ぬすびとの言葉ことばに、聞きき入いつてゐるやうに見みえるではないか? おれは妬ねたましさに身悶みもだえをした。が、盜人ぬすびとはそれからそれへと、巧妙かうめうに話はなしを進すすめてゐる。一度どでも肌身はだみを汚けがしたとなれば、夫をつととの仲なかも折おり合あふまい。そんな夫をつとに連つれ添そつてゐるより、自分じぶんの妻つまになる氣きはないか? 自分じぶんはいとしいと思おもへばこそ、大だいそれた眞似まねも働はたらいたのだ、――盜人ぬすびとはとうとう大膽だいたんにも、さう云いふ話はなしさへ持もち出だした。


盜人ぬすびとにかう云いはれると、妻つまはうつとりと顏かほを擡もたげた。おれはまだあの時とき程ほど、美うつくしい妻つまは見みた事ことがない。しかしその美うつくしい妻つまは、現在げんざい縛しばられたおれを前まへに、何なんと盜人ぬすびとに返事へんじをしたか? おれは中有ちううに迷まよつてゐても、妻つまの返事へんじを思おもひ出だす毎ごとに、嗔恚しんいに燃もえなかつたためしはない。妻つまは確たしかにかう云いつた、――「では何處どこへでもつれて行いつて下ください。」(長ながき沈默ちんもく)
妻つまの罪つみはそれだけではない。それだけならばこの闇やみの中なかに、今程いまほどおれも苦くるしみはしまい。しかし妻つまは夢ゆめのやうに、盜人ぬすびとに手てをとられながら、藪やぶの外そとへ行ゆかうとすると、忽たちまち顏色がんしよくを失うしなつたなり、杉すぎの根ねのおれを指ゆびさした。

「あの人ひとを殺ころして下ください。わたしはあの人ひとが生いきてゐては、あなたと一しよにはゐられません。」――妻つまは氣きが狂くるつたやうに、何度なんどもかう叫さけび立たてた。「あの人ひとを殺ころして下ください。」――この言葉ことばは嵐あらしのやうに、今いまでも遠とほい闇やみの底そこへ、まつ逆樣さかさまにおれを吹ふき落おとさうとする。一度どでもこの位くらゐ憎にくむべき言葉ことばが、人間にんげんの口くちを出でた事ことがあらうか? 一度どでもこの位くらゐ呪のろはしい言葉ことばが、人間にんげんの耳みみに觸ふれた事ことがあらうか? 一度どでもこの位くらゐ、――(突然とつぜん迸ほとばしる如ごとき嘲笑てうせう)その言葉ことばを聞きいた時ときは、盜人ぬすびとさへ色いろを失うしなつてしまつた。「あの人ひとを殺ころして下ください。」――妻つまはさう叫さけびながら、盜人ぬすびとの腕うでに縋すがつてゐる。

盜人ぬすびとはぢつと妻つまを見みた儘まま、殺ころすとも殺ころさぬとも返事へんじをしない。――と思おもふか思おもはない内うちに、妻つまは竹たけの落葉おちばの上うへへ、唯ただ、一蹴ひとけりに蹴倒けたふされた、(再ふたたび、迸ほとばしる如ごとき嘲笑てうせう)盜人ぬすびとは靜しづかに兩腕りやううでを組くむと、おれの姿すがたへ眼めをやつた。「あの女をんなはどうするつもりだ? 殺ころすか、それとも助たすけてやるか? 返事へんじは唯ただ頷うなづけば好よい。殺ころすか?」――おれはこの言葉ことばだけでも、盜人ぬすびとの罪つみは赦ゆるしてやりたい。(再ふたたび、長ながき沈默ちんもく)


妻つまはおれがためらふ内うちに、何なにか一聲ひとこえ叫ぶが早はやいか、忽たちまち藪やぶの奧おくへ走り出だした。盜人ぬすびとも咄嗟とつさに飛とびかかつたが、これは袖そでさへ捉とらへなかつたらしい。おれは唯ただ、幻まぼろしのやうに、さう云いふ景色けしきを眺ながめてゐた。
盜人ぬすびとは妻つまが逃にげ去さつた後のち、太刀たちや弓矢ゆみやを取とり上あげると、一箇所かしよだけおれの繩なはを切きつた。「今度こんどはおれの身みの上うへだ。」――おれは盜人ぬすびとが藪やぶの外そとへ、姿すがたを隱かくしてしまう時ときに、かう呟つぶやいたのを覺おぼえてゐる。その跡あとは何處どこも靜しづかだつた。いや、まだ誰だれかの泣なく聲こゑがする。おれは繩なはを解ときながら、ぢつと耳みみを澄すませて見みた。が、その聲こゑも氣きがついて見みれば、おれ自身じしんの泣ないてゐる聲こゑだつたではないか? (三度みたび、長ながき沈默ちんもく)
おれはやつと杉すぎの根ねから、疲つかれ果はてた體からだを起おこした。おれの前まへには妻つまが落おとした、小刀さすがが一ひとつ光ひかつてゐる。おれはそれを手てにとると、一突ひとつきにおれの胸むねへ刺さした。何なにか腥なまぐさい塊かたまりがおれの口くちへこみ上あげて來くる。が、苦くるしみは少すこしもない。唯ただ胸むねが冷つめたくなると、一層そうあたりがしんとしてしまつた。ああ、何なんと云いふ靜しづかさだらう。この山陰やまかげの藪やぶの空そらには、小鳥ことり一羽は囀さえづりに來こない。唯ただ杉すぎや竹たけの杪うらに、寂さびしい日影ひかげが漂ただよつてゐる。日影ひかげが、――それも次第しだいに薄うすれて來くる。もう杉すぎや竹たけも見みえない。おれは其處そこに倒たふれた儘まま、深ふかい靜しづかさに包まれてゐる。


その時とき誰だれか忍しのび足あしに、おれの側そばへ來きたものがある。おれはそちらを見みようとした。が、おれのまはりには、何時いつか薄闇うすやみが立たちこめてゐる。誰たれか、――その誰たれかは見みえない手てに、そつと胸むねの小刀さすがを拔ぬいた。同時どうじにおれの口くちの中なかには、もう一度ど血潮ちしほが溢あふれて來くる。おれはそれぎり永久えいきうに、中有ちううの闇やみへ沈しづんでしまつた。………

(大正十年十二月作)

 

 

映画 『羅生門』

監督 黒澤明

脚本 黒澤明 橋本忍

原作 芥川龍之介『藪の中』

製作 箕浦甚吾

出演者 三船敏郎 森雅之 京マチ子 志村喬 千秋実

音楽 早坂文雄

撮影 宮川一夫

編集 西田重雄

製作会社 大映京都撮影所

配給 大映

公開 昭和25年(1950)8月25日

上映時間 88分

製作国 🇯🇵日本

言語 日本語

 

第12回ヴェネチア映画祭グランプリ

第24回アカデミー賞の名誉賞(外国語映画賞)受賞

 

 

 

ひとりの男の死を巡って、いずれも自分を中心に語り、話は核心部分で微妙に食い違う。

真実は不明、すべては藪の中である。

 

 

 

 

 

本作のグランプリの報は、敗戦で打ちひしがれていた日本人にとって、yuka湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞、古橋廣之進の競泳世界記録樹立とともに希望と自信を与える出来事となった。

敗戦国の国民として肩身が狭い思いをしていた海外在住の日本人にも大きな喜びを与えた。リヨンに留学していた遠藤周作は「ベニス映画祭で日本の作品がグランプリをとったというニュースほど、留学生を悦ばせたものはなかった。彼等が木と紙の家にしか住まず、地面の上に寝るとしか考えていない日本人の創造力が本当はどういうものかをこれによって証明できたからである」と書いている。ヨーロッパ在住のイサム・ノグチは本作を見て、ヨーロッパを威張って歩くことができたという。

大映社長の永田は、受賞報告を聞いて「グランプリって何や?」と聞き返したという。永田は本作に批判的な態度を取り、映画祭出品にも無関心だったが、受賞後は手のひらを返したかのように絶賛し、自分の手柄のように語ったため、周りから「黒澤明はグランプリ、永田雅一はシランプリ」と揶揄された。

この受賞以来、日本映画には各国映画祭から出品要請が相次ぎ、日本映画の配給を要望する海外の映画会社も増えた。日本映画産業も海外市場に目を向けるようになり、「輸出映画」という言葉が業界用語となった。

コメントを残す

*