
京都へ来られる時、京都駅に降り立つ人も多い。
京都駅北側のメルパルク京都前に羅生門が出迎えてくれる。
平安建都千二百年を記念して、附属施設ともの全体が幅8m、奥行3.6m、高さ2.4mの元の10分の1大型模型が,平成6年(1994)に京都府建築工業協同組合の手で製作されたものだ。
古代都市を取り囲む城壁を羅城と言い、そこに開かれた門を羅城門と呼んだ。
平安京の羅城門は、朱雀大路の南端に建てられた都の正門。
呉音で「らじょうもん」,漢音では「らせいもん」です。
『宇治大納言物語』には「らいせい門」、『拾芥抄』の「らしょう門」は俗称とされていたのを、中世の観世信光作の謡曲「羅生門」の影響からか「らしょうもん」が一般化したようです。

近代以降、『羅生門』と言えばやはり芥川龍之介でしょう。
黒澤明は『羅生門』という映画を作ったが、内容は『藪の中』であった。

海外で上映された当時、日本人を見たら
“Rashomon””Rashomon”と言ったそうです。
物語は登場人物が順番に語り手になって物語を進めていという構成になっています。
検非違使からある殺人事件の証言を求められた木樵り・旅法師・放免・媼・多襄丸・眞砂・金澤武弘の7人が事件の真相を語っていきます。
検非違使に問われたる木樵りの物語

さようでございます。あの死骸を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝いつもの通り、裏山の杉を伐りに参りました。すると山陰の藪の中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科の駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩せ杉の交った、人気のない所でございます。

死骸は縹の水干に、都風のさび烏帽子をかぶったまま、仰向けに倒れて居りました。何しろ一刀とは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳に滲みたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口も乾いて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅が一匹、わたしの足音も聞えないように、べったり食いついて居りましたっけ。
太刀か何かは見えなかったか? いえ、何もございません。ただその側の杉の根がたに、縄が一筋落ちて居りました。それから、――そうそう、縄のほかにも櫛が一つございました。死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。が、草や竹の落葉は、一面に踏み荒されて居りましたから、きっとあの男は殺される前に、よほど手痛い働きでも致したのに違いございません。何、馬はいなかったか? あそこは一体馬なぞには、はいれない所でございます。何しろ馬の通う路とは、藪一つ隔たって居りますから。
検非違使に問われたる旅法師の物語

あの死骸の男には、確かに昨日遇って居ります。昨日の、――さあ、午頃でございましょう。場所は関山から山科へ、参ろうと云う途中でございます。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。女は牟子を垂れて居りましたから、顔はわたしにはわかりません。見えたのはただ萩重ねらしい、衣の色ばかりでございます。馬は月毛の、――確か法師髪の馬のようでございました。丈でございますか? 丈は四寸もございましたか? ――何しろ沙門の事でございますから、その辺ははっきり存じません。男は、――いえ、太刀も帯びて居れば、弓矢も携えて居りました。殊に黒い塗り箙へ、二十あまり征矢をさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。

あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、真に人間の命なぞは、如露亦如電に違いございません。やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。
検非違使に問われたる放免の物語
わたしが搦め取った男でございますか? これは確かに多襄丸と云う、名高い盗人でございます。

もっともわたしが搦め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口の石橋の上に、うんうん呻って居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜の初更頃でございます。いつぞやわたしが捉え損じた時にも、やはりこの紺の水干に、打出しの太刀を佩いて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえ携えて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。革を巻いた弓、黒塗りの箙、鷹の羽の征矢が十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。はい。馬もおっしゃる通り、法師髪の月毛でございます。その畜生に落されるとは、何かの因縁に違いございません。それは石橋の少し先に、長い端綱を引いたまま、路ばたの青芒を食って居りました。
この多襄丸と云うやつは、洛中に徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。昨年の秋鳥部寺の賓頭盧の後の山に、物詣でに来たらしい女房が一人、女の童と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業だとか申して居りました。その月毛に乗っていた女も、こいつがあの男を殺したとなれば、どこへどうしたかわかりません。差出がましゅうございますが、それも御詮議下さいまし。
検非違使に問われたる媼の物語
はい、あの死骸は手前の娘が、片附いた男でございます。が、都のものではございません。若狭の国府の侍でございます。名は金沢の武弘、年は二十六歳でございました。いえ、優しい気立でございますから、遺恨なぞ受ける筈はございません。
娘でございますか? 娘の名は真砂、年は十九歳でございます。これは男にも劣らぬくらい、勝気の女でございますが、まだ一度も武弘のほかには、男を持った事はございません。顔は色の浅黒い、左の眼尻に黒子のある、小さい瓜実顔でございます。
武弘は昨日娘と一しょに、若狭へ立ったのでございますが、こんな事になりますとは、何と云う因果でございましょう。しかし娘はどうなりましたやら、壻の事はあきらめましても、これだけは心配でなりません。どうかこの姥が一生のお願いでございますから、たとい草木を分けましても、娘の行方をお尋ね下さいまし。何に致せ憎いのは、その多襄丸とか何とか申す、盗人のやつでございます。壻ばかりか、娘までも………(跡は泣き入りて言葉なし)
多襄丸の白状

あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。ではどこへ行ったのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お待ちなさい。いくら拷問にかけられても、知らない事は申されますまい。その上わたしもこうなれば、卑怯な隠し立てはしないつもりです。

わたしは昨日の午少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子に、牟子の垂絹が上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩のように見えたのです。わたしはその咄嗟の間に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。
何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。どうせ女を奪うとなれば、必ず、男は殺されるのです。ただわたしは殺す時に、腰の太刀を使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派に生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)
しかし男を殺さずとも、女を奪う事が出来れば、別に不足はない訳です。いや、その時の心もちでは、出来るだけ男を殺さずに、女を奪おうと決心したのです。が、あの山科の駅路では、とてもそんな事は出来ません。そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫をしました。
これも造作はありません。わたしはあの夫婦と途づれになると、向うの山には古塚がある、この古塚を発いて見たら、鏡や太刀が沢山出た、わたしは誰も知らないように、山の陰の藪の中へ、そう云う物を埋めてある、もし望み手があるならば、どれでも安い値に売り渡したい、――と云う話をしたのです。男はいつかわたしの話に、だんだん心を動かし始めました。それから、――どうです。欲と云うものは恐しいではありませんか? それから半時もたたない内に、あの夫婦はわたしと一しょに、山路へ馬を向けていたのです。
わたしは藪の前へ来ると、宝はこの中に埋めてある、見に来てくれと云いました。男は欲に渇いていますから、異存のある筈はありません。が、女は馬も下りずに、待っていると云うのです。またあの藪の茂っているのを見ては、そう云うのも無理はありますまい。わたしはこれも実を云えば、思う壺にはまったのですから、女一人を残したまま、男と藪の中へはいりました。
藪はしばらくの間は竹ばかりです。が、半町ほど行った処に、やや開いた杉むらがある、――わたしの仕事を仕遂げるのには、これほど都合の好い場所はありません。わたしは藪を押し分けながら、宝は杉の下に埋めてあると、もっともらしい嘘をつきました。男はわたしにそう云われると、もう痩せ杉が透いて見える方へ、一生懸命に進んで行きます。その内に竹が疎らになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。男も太刀を佩いているだけに、力は相当にあったようですが、不意を打たれてはたまりません。たちまち一本の杉の根がたへ、括りつけられてしまいました。縄ですか? 縄は盗人の有難さに、いつ塀を越えるかわかりませんから、ちゃんと腰につけていたのです。勿論声を出させないためにも、竹の落葉を頬張らせれば、ほかに面倒はありません。

わたしは男を片附けてしまうと、今度はまた女の所へ、男が急病を起したらしいから、見に来てくれと云いに行きました。これも図星に当ったのは、申し上げるまでもありますまい。

女は市女笠を脱いだまま、わたしに手をとられながら、藪の奥へはいって来ました。ところがそこへ来て見ると、男は杉の根に縛られている、

――女はそれを一目見るなり、いつのまに懐から出していたか、きらりと小刀を引き抜きました。わたしはまだ今までに、あのくらい気性の烈しい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油断していたらば、一突きに脾腹を突かれたでしょう。いや、それは身を躱したところが、無二無三に斬り立てられる内には、どんな怪我も仕兼ねなかったのです。


が、わたしも多襄丸ですから、どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀を打ち落しました。いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありません。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。

男の命は取らずとも、――そうです。わたしはその上にも、男を殺すつもりはなかったのです。所が泣き伏した女を後に、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、――そうも喘ぎ喘ぎ云うのです。わたしはその時猛然と、男を殺したい気になりました。(陰鬱なる興奮)

こんな事を申し上げると、きっとわたしはあなた方より残酷な人間に見えるでしょう。しかしそれはあなた方が、あの女の顔を見ないからです。殊にその一瞬間の、燃えるような瞳を見ないからです。わたしは女と眼を合せた時、たとい神鳴に打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、――わたしの念頭にあったのは、ただこう云う一事だけです。これはあなた方の思うように、卑しい色欲ではありません。もしその時色欲のほかに、何も望みがなかったとすれば、わたしは女を蹴倒しても、きっと逃げてしまったでしょう。男もそうすればわたしの太刀に、血を塗る事にはならなかったのです。が、薄暗い藪の中に、じっと女の顔を見た刹那、わたしは男を殺さない限り、ここは去るまいと覚悟しました。
しかし男を殺すにしても、卑怯な殺し方はしたくありません。わたしは男の縄を解いた上、太刀打ちをしろと云いました。(杉の根がたに落ちていたのは、その時捨て忘れた縄なのです。)

男は血相を変えたまま、太い太刀を引き抜きました。と思うと口も利かずに、憤然とわたしへ飛びかかりました。

――その太刀打ちがどうなったかは、申し上げるまでもありますまい。わたしの太刀は二十三合目に、相手の胸を貫きました。二十三合目に、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思っているのです。わたしと二十合斬り結んだものは、天下にあの男一人だけですから。(快活なる微笑)
わたしは男が倒れると同時に、血に染まった刀を下げたなり、女の方を振り返りました。すると、――どうです、あの女はどこにもいないではありませんか? わたしは女がどちらへ逃げたか、杉むらの間を探して見ました。が、竹の落葉の上には、それらしい跡も残っていません。また耳を澄ませて見ても、聞えるのはただ男の喉に、断末魔の音がするだけです。
事によるとあの女は、わたしが太刀打を始めるが早いか、人の助けでも呼ぶために、藪をくぐって逃げたのかも知れない。――わたしはそう考えると、今度はわたしの命ですから、太刀や弓矢を奪ったなり、すぐにまたもとの山路へ出ました。そこにはまだ女の馬が、静かに草を食っています。その後の事は申し上げるだけ、無用の口数に過ぎますまい。ただ、都へはいる前に、太刀だけはもう手放していました。――わたしの白状はこれだけです。どうせ一度は樗の梢に、懸ける首と思っていますから、どうか極刑に遇わせて下さい。(昂然たる態度)
清水寺に来れる女の懺悔

――その紺の水干を着た男は、わたしを手ごめにしてしまふと、縛られた夫を眺めながら、嘲るやうに笑ひました。夫はどんなに無念だつたでせう。が、いくら身悶えをしても、體中にかかつた繩目は、一層ひしひしと食ひ入るだけです。わたしは思はず夫の側へ、轉ぶやうに走り寄りました。いえ、走り寄らうとしたのです。しかし男は咄嗟の間に、わたしを其處へ蹴倒しました。丁度その途端です。わたしは夫の眼の中に、何とも云ひやうのない輝きが、宿つてゐるのを覺りました。何とも云ひやうのない、――わたしはあの眼を思ひ出すと、今でも身震ひが出ずにはゐられません。

口さへ一言も利けない夫は、その刹那の眼の中に、一切の心を傳へたのです。しかも其處に閃いてゐたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――唯わたしを蔑んだ、冷たい光だつたではありませんか? わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたやうに、我知らず何か叫んだぎり、とうとう氣を失つてしまひました。
その内にやつと氣がついて見ると、あの紺の水干の男は、もう何處かへ行つてゐました。跡には唯杉の根がたに、夫が縛られてゐるだけです。わたしは竹の落葉の上に、やつと體を起したなり、夫の顏を見守りました。が、夫の眼の色は、少しもさつきと變りません。やはり冷たい蔑みの底に、憎しみの色を見せてゐるのです。恥しさ、悲しさ、腹立たしさ、――その時のわたしの心の中は、何と云へば好いかわかりません。わたしはよろよろ立ち上りながら、夫の側へ近寄りました。

「あなた。もうかうなつた上は、あなたと御一しよには居られません。わたしは一思ひに死ぬ覺悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすつて下さい。あなたはわたしの恥を御覽になりました。わたしはこのままあなた一人、お殘し申す譯には參りません。」
わたしは一生懸命に、これだけの事を云ひました。それでも夫は忌はしさうに、わたしを見つめてゐるばかりなのです。わたしは裂けさうな胸を抑へながら、夫の太刀を探しました。が、あの盜人に奪はれたのでせう、太刀は勿論弓矢さへも、藪の中には見當りません。しかし幸ひ小刀だけは、わたしの足もとに落ちてゐるのです。わたしはその小刀を振り上げると、もう一度夫にかう云ひました。
「ではお命を頂かせて下さい。わたしもすぐにお供します。」

夫はこの言葉を聞いた時、やつと唇を動かしました。勿論口には笹の落葉が、一ぱいにつまつてゐますから、聲は少しも聞えません。が、わたしはそれを見ると、忽ちその言葉を覺りました。夫はわたしを蔑んだ儘、「殺せ」と一言云つたのです。わたしは殆、夢うつつの内に、夫の縹の水干の胸へ、ずぶりと小刀を刺し通しました。
わたしは又この時も、氣を失つてしまつたのでせう。やつとあたりを見まはした時には、夫はもう縛られた儘、とうに息が絶えてゐました。その蒼ざめた顏の上には、竹に交つた杉むらの空から、西日が一すぢ落ちてゐるのです。わたしは泣き聲を呑みながら、死骸の繩を解き捨てました。さうして、――さうしてわたしがどうなつたか? それだけはもうわたしには、申し上げる力もありません。兎に角わたしはどうしても、死に切る力がなかつたのです。小刀を喉に突き立てたり、山の裾の池へ身を投げたり、いろいろな事もして見ましたが、死に切れずにかうしてゐる限り、これも自慢にはなりますまい。(寂しき微笑)わたしのやうに腑甲斐ないものは、大慈大悲の觀世音菩薩も、お見放しなすつたものかも知れません。しかし夫を殺したわたしは、盜人の手ごめに遇つたわたしは、一體どうすれば好いのでせう? 一體わたしは、――わたしは、――(突然烈しき歔欷)

巫女の口を借りたる死靈の物語

――盜人は妻を手ごめにすると、其處へ腰を下した儘、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口は利けない。體も杉の根に縛られてゐる。が、おれはその間に、何度も妻へ目くばせをした。この男の云ふ事を眞に受けるな、何を云つても嘘と思へ、――おれはそんな意味を傳へたいと思つた。

しかし妻は悄然と笹の落葉に坐つたなり、ぢつと膝へ目をやつてゐる。それがどうも盜人の言葉に、聞き入つてゐるやうに見えるではないか? おれは妬しさに身悶えをした。が、盜人はそれからそれへと、巧妙に話を進めてゐる。一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲も折り合ふまい。そんな夫に連れ添つてゐるより、自分の妻になる氣はないか? 自分はいとしいと思へばこそ、大それた眞似も働いたのだ、――盜人はとうとう大膽にも、さう云ふ話さへ持ち出した。

盜人にかう云はれると、妻はうつとりと顏を擡げた。おれはまだあの時程、美しい妻は見た事がない。しかしその美しい妻は、現在縛られたおれを前に、何と盜人に返事をしたか? おれは中有に迷つてゐても、妻の返事を思ひ出す毎に、嗔恚に燃えなかつたためしはない。妻は確かにかう云つた、――「では何處へでもつれて行つて下さい。」(長き沈默)
妻の罪はそれだけではない。それだけならばこの闇の中に、今程おれも苦しみはしまい。しかし妻は夢のやうに、盜人に手をとられながら、藪の外へ行かうとすると、忽ち顏色を失つたなり、杉の根のおれを指さした。

「あの人を殺して下さい。わたしはあの人が生きてゐては、あなたと一しよにはゐられません。」――妻は氣が狂つたやうに、何度もかう叫び立てた。「あの人を殺して下さい。」――この言葉は嵐のやうに、今でも遠い闇の底へ、まつ逆樣におれを吹き落さうとする。一度でもこの位憎むべき言葉が、人間の口を出た事があらうか? 一度でもこの位呪はしい言葉が、人間の耳に觸れた事があらうか? 一度でもこの位、――(突然迸る如き嘲笑)その言葉を聞いた時は、盜人さへ色を失つてしまつた。「あの人を殺して下さい。」――妻はさう叫びながら、盜人の腕に縋つてゐる。

盜人はぢつと妻を見た儘、殺すとも殺さぬとも返事をしない。――と思ふか思はない内に、妻は竹の落葉の上へ、唯、一蹴りに蹴倒された、(再、迸る如き嘲笑)盜人は靜かに兩腕を組むと、おれの姿へ眼をやつた。「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか? 返事は唯頷けば好い。殺すか?」――おれはこの言葉だけでも、盜人の罪は赦してやりたい。(再、長き沈默)

妻はおれがためらふ内に、何か一聲叫ぶが早いか、忽ち藪の奧へ走り出した。盜人も咄嗟に飛びかかつたが、これは袖さへ捉へなかつたらしい。おれは唯、幻のやうに、さう云ふ景色を眺めてゐた。
盜人は妻が逃げ去つた後、太刀や弓矢を取り上げると、一箇所だけおれの繩を切つた。「今度はおれの身の上だ。」――おれは盜人が藪の外へ、姿を隱してしまう時に、かう呟いたのを覺えてゐる。その跡は何處も靜かだつた。いや、まだ誰かの泣く聲がする。おれは繩を解きながら、ぢつと耳を澄ませて見た。が、その聲も氣がついて見れば、おれ自身の泣いてゐる聲だつたではないか? (三度、長き沈默)
おれはやつと杉の根から、疲れ果てた體を起した。おれの前には妻が落した、小刀が一つ光つてゐる。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へ刺した。何か腥い塊がおれの口へこみ上げて來る。が、苦しみは少しもない。唯胸が冷たくなると、一層あたりがしんとしてしまつた。ああ、何と云ふ靜かさだらう。この山陰の藪の空には、小鳥一羽囀りに來ない。唯杉や竹の杪に、寂しい日影が漂つてゐる。日影が、――それも次第に薄れて來る。もう杉や竹も見えない。おれは其處に倒れた儘、深い靜かさに包まれてゐる。

その時誰か忍び足に、おれの側へ來たものがある。おれはそちらを見ようとした。が、おれのまはりには、何時か薄闇が立ちこめてゐる。誰か、――その誰かは見えない手に、そつと胸の小刀を拔いた。同時におれの口の中には、もう一度血潮が溢れて來る。おれはそれぎり永久に、中有の闇へ沈んでしまつた。………
映画 『羅生門』
監督 黒澤明
脚本 黒澤明 橋本忍
原作 芥川龍之介『藪の中』
製作 箕浦甚吾
出演者 三船敏郎 森雅之 京マチ子 志村喬 千秋実
音楽 早坂文雄
撮影 宮川一夫
編集 西田重雄
製作会社 大映京都撮影所
配給 大映
公開 昭和25年(1950)8月25日
上映時間 88分
製作国 🇯🇵日本
言語 日本語
第12回ヴェネチア映画祭グランプリ
第24回アカデミー賞の名誉賞(外国語映画賞)受賞
ひとりの男の死を巡って、いずれも自分を中心に語り、話は核心部分で微妙に食い違う。
真実は不明、すべては藪の中である。
本作のグランプリの報は、敗戦で打ちひしがれていた日本人にとって、yuka湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞、古橋廣之進の競泳世界記録樹立とともに希望と自信を与える出来事となった。
敗戦国の国民として肩身が狭い思いをしていた海外在住の日本人にも大きな喜びを与えた。リヨンに留学していた遠藤周作は「ベニス映画祭で日本の作品がグランプリをとったというニュースほど、留学生を悦ばせたものはなかった。彼等が木と紙の家にしか住まず、地面の上に寝るとしか考えていない日本人の創造力が本当はどういうものかをこれによって証明できたからである」と書いている。ヨーロッパ在住のイサム・ノグチは本作を見て、ヨーロッパを威張って歩くことができたという。
大映社長の永田は、受賞報告を聞いて「グランプリって何や?」と聞き返したという。永田は本作に批判的な態度を取り、映画祭出品にも無関心だったが、受賞後は手のひらを返したかのように絶賛し、自分の手柄のように語ったため、周りから「黒澤明はグランプリ、永田雅一はシランプリ」と揶揄された。
この受賞以来、日本映画には各国映画祭から出品要請が相次ぎ、日本映画の配給を要望する海外の映画会社も増えた。日本映画産業も海外市場に目を向けるようになり、「輸出映画」という言葉が業界用語となった。


