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羅生門

当主のひとりごと (BLOG) 2025.12.03

 

京都へ来られる時、京都駅に降り立つ人も多い。

京都駅北側のメルパルク京都前に羅生門が出迎えてくれる。

 

平安建都千二百年を記念して、附属施設ともの全体が幅8m、奥行3.6m、高さ2.4mの元の10分の1大型模型が,平成6年(1994)に京都府建築工業協同組合の手で製作されたものだ。

 

 

古代都市を取り囲む城壁を羅城らじょうと言い、そこに開かれた門を羅城門と呼んだ。

平安京の羅城門は、朱雀大路すざくおおじの南端に建てられた都の正門。

呉音で「らじょうもん」,漢音では「らせいもん」です。

『宇治大納言物語』には「らいせい門」、『拾芥抄』の「らしょう門」は俗称とされていたのを、中世の観世信光かんぜのぶみつ作の謡曲「羅生門」の影響からか「らしょうもん」が一般化したようです。

近代以降、『羅生門』と言えばやはり芥川龍之介でしょう。

黒澤明は『羅生門』という映画を作ったが、内容は『藪の中』であった。

海外で上映された当時、日本人を見たら

“Rashomon””Rashomon”と言ったそうです。

 

 

物語は登場人物が順番に語り手になって物語を進めていという構成になっています。

検非違使からある殺人事件の証言を求められた木樵り・旅法師・放免・媼・多襄丸・眞砂(まさご)・金澤武弘の7人が事件の真相を語っていきます。

 

 

検非違使けびいしに問われたる木樵きこりの物語

さようでございます。あの死骸しがいを見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝けさいつもの通り、裏山の杉をりに参りました。すると山陰やまかげやぶの中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科やましなの駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中にせ杉のまじった、人気ひとけのない所でございます。


死骸ははなだ水干すいかんに、都風みやこふうのさび烏帽子をかぶったまま、仰向あおむけに倒れて居りました。何しろ一刀ひとかたなとは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳すほうみたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口もかわいて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅うまばえが一匹、わたしの足音も聞えないように、べったり食いついて居りましたっけ。
太刀たちか何かは見えなかったか? いえ、何もございません。ただその側の杉の根がたに、なわが一筋落ちて居りました。それから、――そうそう、縄のほかにもくしが一つございました。死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。が、草や竹の落葉は、一面に踏み荒されて居りましたから、きっとあの男は殺される前に、よほど手痛い働きでも致したのに違いございません。何、馬はいなかったか? あそこは一体馬なぞには、はいれない所でございます。何しろ馬のかよう路とは、藪一つ隔たって居りますから。

 

検非違使に問われたる旅法師たびほうしの物語

あの死骸の男には、確かに昨日きのうって居ります。昨日の、――さあ、午頃ひるごろでございましょう。場所は関山せきやまから山科やましなへ、参ろうと云う途中でございます。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。女は牟子むしを垂れて居りましたから、顔はわたしにはわかりません。見えたのはただ萩重はぎがさねらしい、きぬの色ばかりでございます。馬は月毛つきげの、――確か法師髪ほうしがみの馬のようでございました。たけでございますか? 丈は四寸よきもございましたか? ――何しろ沙門しゃもんの事でございますから、その辺ははっきり存じません。男は、――いえ、太刀たちも帯びてれば、弓矢もたずさえて居りました。殊に黒いえびらへ、二十あまり征矢そやをさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。


あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、まことに人間の命なぞは、如露亦如電にょろやくにょでんに違いございません。やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。

検非違使に問われたる放免ほうめんの物語

わたしがからめ取った男でございますか? これは確かに多襄丸たじょうまると云う、名高い盗人ぬすびとでございます。

もっともわたしがからめ取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口あわだぐち石橋いしばしの上に、うんうんうなって居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜さくや初更しょこう頃でございます。いつぞやわたしがとらえ損じた時にも、やはりこのこん水干すいかんに、打出うちだしの太刀たちいて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえたずさえて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。かわを巻いた弓、黒塗りのえびらたかの羽の征矢そやが十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。はい。馬もおっしゃる通り、法師髪ほうしがみ月毛つきげでございます。その畜生ちくしょうに落されるとは、何かの因縁いんねんに違いございません。それは石橋の少し先に、長い端綱はづなを引いたまま、路ばたの青芒あおすすきを食って居りました。
この多襄丸たじょうまると云うやつは、洛中らくちゅうに徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。昨年の秋鳥部寺とりべでら賓頭盧びんずるうしろの山に、物詣ものもうでに来たらしい女房が一人、わらわと一しょに殺されていたのは、こいつの仕業しわざだとか申して居りました。その月毛に乗っていた女も、こいつがあの男を殺したとなれば、どこへどうしたかわかりません。差出さしでがましゅうございますが、それも御詮議ごせんぎ下さいまし。

検非違使に問われたるおうなの物語

はい、あの死骸は手前の娘が、片附かたづいた男でございます。が、都のものではございません。若狭わかさ国府こくふの侍でございます。名は金沢かなざわの武弘、年は二十六歳でございました。いえ、優しい気立きだてでございますから、遺恨いこんなぞ受ける筈はございません。
娘でございますか? 娘の名は真砂まさご、年は十九歳でございます。これは男にも劣らぬくらい、勝気の女でございますが、まだ一度も武弘のほかには、男を持った事はございません。顔は色の浅黒い、左の眼尻めじり黒子ほくろのある、小さい瓜実顔うりざねがおでございます。
武弘は昨日きのう娘と一しょに、若狭へ立ったのでございますが、こんな事になりますとは、何と云う因果でございましょう。しかし娘はどうなりましたやら、むこの事はあきらめましても、これだけは心配でなりません。どうかこのうばが一生のお願いでございますから、たとい草木くさきを分けましても、娘の行方ゆくえをお尋ね下さいまし。何に致せ憎いのは、その多襄丸たじょうまるとか何とか申す、盗人ぬすびとのやつでございます。壻ばかりか、娘までも………(跡は泣き入りて言葉なし)

 

 

多襄丸たじょうまるの白状

あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。ではどこへ行ったのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お待ちなさい。いくら拷問ごうもんにかけられても、知らない事は申されますまい。その上わたしもこうなれば、卑怯ひきょうな隠し立てはしないつもりです。


わたしは昨日きのうひる少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子ひょうしに、牟子むし垂絹たれぎぬが上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩にょぼさつのように見えたのです。わたしはその咄嗟とっさあいだに、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。
何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。どうせ女をうばうとなれば、必ず、男は殺されるのです。ただわたしは殺す時に、腰の太刀たちを使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派りっぱに生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)
しかし男を殺さずとも、女を奪う事が出来れば、別に不足はない訳です。いや、その時の心もちでは、出来るだけ男を殺さずに、女を奪おうと決心したのです。が、あの山科やましなの駅路では、とてもそんな事は出来ません。そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫くふうをしました。
これも造作ぞうさはありません。わたしはあの夫婦とみちづれになると、向うの山には古塚ふるづかがある、この古塚をあばいて見たら、鏡や太刀たちが沢山出た、わたしは誰も知らないように、山の陰のやぶの中へ、そう云う物をうずめてある、もし望み手があるならば、どれでも安い値に売り渡したい、――と云う話をしたのです。男はいつかわたしの話に、だんだん心を動かし始めました。それから、――どうです。欲と云うものは恐しいではありませんか? それから半時はんときもたたない内に、あの夫婦はわたしと一しょに、山路やまみちへ馬を向けていたのです。
わたしはやぶの前へ来ると、宝はこの中に埋めてある、見に来てくれと云いました。男は欲にかわいていますから、異存いぞんのある筈はありません。が、女は馬も下りずに、待っていると云うのです。またあの藪の茂っているのを見ては、そう云うのも無理はありますまい。わたしはこれも実を云えば、思うつぼにはまったのですから、女一人を残したまま、男と藪の中へはいりました。

藪はしばらくのあいだは竹ばかりです。が、半町はんちょうほど行った処に、やや開いた杉むらがある、――わたしの仕事を仕遂げるのには、これほど都合つごうい場所はありません。わたしは藪を押し分けながら、宝は杉の下に埋めてあると、もっともらしい嘘をつきました。男はわたしにそう云われると、もうせ杉が透いて見える方へ、一生懸命に進んで行きます。その内に竹がまばらになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。男も太刀をいているだけに、力は相当にあったようですが、不意を打たれてはたまりません。たちまち一本の杉の根がたへ、くくりつけられてしまいました。なわですか? 縄は盗人ぬすびとの有難さに、いつ塀を越えるかわかりませんから、ちゃんと腰につけていたのです。勿論声を出させないためにも、竹の落葉を頬張ほおばらせれば、ほかに面倒はありません。


わたしは男を片附けてしまうと、今度はまた女の所へ、男が急病を起したらしいから、見に来てくれと云いに行きました。これも図星ずぼしに当ったのは、申し上げるまでもありますまい。

女は市女笠いちめがさを脱いだまま、わたしに手をとられながら、藪の奥へはいって来ました。ところがそこへ来て見ると、男は杉の根にしばられている、

――女はそれを一目見るなり、いつのまにふところから出していたか、きらりと小刀さすがを引き抜きました。わたしはまだ今までに、あのくらい気性のはげしい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油断していたらば、一突きに脾腹ひばらを突かれたでしょう。いや、それは身をかわしたところが、無二無三むにむざんに斬り立てられる内には、どんな怪我けがも仕兼ねなかったのです。

 

が、わたしも多襄丸たじょうまるですから、どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀さすがを打ち落しました。いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありません。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。


男の命は取らずとも、――そうです。わたしはその上にも、男を殺すつもりはなかったのです。所が泣き伏した女をあとに、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのようにすがりつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男にはじを見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、――そうもあえぎ喘ぎ云うのです。わたしはその時猛然と、男を殺したい気になりました。(陰鬱なる興奮)


こんな事を申し上げると、きっとわたしはあなた方より残酷ざんこくな人間に見えるでしょう。しかしそれはあなた方が、あの女の顔を見ないからです。殊にその一瞬間の、燃えるようなひとみを見ないからです。わたしは女と眼を合せた時、たとい神鳴かみなりに打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、――わたしの念頭ねんとうにあったのは、ただこう云う一事だけです。これはあなた方の思うように、いやしい色欲ではありません。もしその時色欲のほかに、何も望みがなかったとすれば、わたしは女を蹴倒けたおしても、きっと逃げてしまったでしょう。男もそうすればわたしの太刀たちに、血を塗る事にはならなかったのです。が、薄暗い藪の中に、じっと女の顔を見た刹那せつな、わたしは男を殺さない限り、ここは去るまいと覚悟しました。
しかし男を殺すにしても、卑怯ひきょうな殺し方はしたくありません。わたしは男の縄を解いた上、太刀打ちをしろと云いました。(杉の根がたに落ちていたのは、その時捨て忘れた縄なのです。)

男は血相けっそうを変えたまま、太い太刀を引き抜きました。と思うと口もかずに、憤然とわたしへ飛びかかりました。

――その太刀打ちがどうなったかは、申し上げるまでもありますまい。わたしの太刀は二十三合目ごうめに、相手の胸を貫きました。二十三合目に、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思っているのです。わたしと二十合斬り結んだものは、天下にあの男一人だけですから。(快活なる微笑)
わたしは男が倒れると同時に、血に染まった刀を下げたなり、女の方を振り返りました。すると、――どうです、あの女はどこにもいないではありませんか? わたしは女がどちらへ逃げたか、杉むらの間を探して見ました。が、竹の落葉の上には、それらしいあとも残っていません。また耳を澄ませて見ても、聞えるのはただ男ののどに、断末魔だんまつまの音がするだけです。
事によるとあの女は、わたしが太刀打を始めるが早いか、人の助けでも呼ぶために、藪をくぐって逃げたのかも知れない。――わたしはそう考えると、今度はわたしの命ですから、太刀や弓矢を奪ったなり、すぐにまたもとの山路やまみちへ出ました。そこにはまだ女の馬が、静かに草を食っています。そのの事は申し上げるだけ、無用の口数くちかずに過ぎますまい。ただ、みやこへはいる前に、太刀だけはもう手放していました。――わたしの白状はこれだけです。どうせ一度はおうちこずえに、懸ける首と思っていますから、どうか極刑ごっけいに遇わせて下さい。(昂然こうぜんたる態度)

 

清水寺に来れる女の懺悔

――そのこん水干すゐかんをとこは、わたしをごめにしてしまふと、しばられたをつとながめながら、あざけるやうにわらひました。をつとはどんなに無念むねんだつたでせう。が、いくら身悶みもだえをしても、體中からだぢうにかかつた繩目なわめは、一そうひしひしとるだけです。わたしはおもはずをつとそばへ、まろぶやうにはしりました。いえ、はしらうとしたのです。しかしをとこ咄嗟とつさに、わたしを其處そこ蹴倒けたふしました。丁度ちやうどその途端とたんです。わたしはをつとなかに、なんともひやうのないかがやきが、宿やどつてゐるのをさとりました。なんともひやうのない、――わたしはあのおもすと、いまでも身震みぶるひがずにはゐられません。

くちさへ一言ひとことけないをつとは、その刹那せつななかに、一さいこころつたへたのです。しかも其處そこひらめいてゐたのは、いかりでもなければかなしみでもない、――ただわたしをさげすんだ、つめたいひかりだつたではありませんか? わたしはをとこられたよりも、そのいろたれたやうに、われらずなにさけんだぎり、とうとううしなつてしまひました。
そのうちにやつとがついてると、あのこん水干すゐかんをとこは、もう何處どこかへつてゐました。あとにはただすぎがたに、をつとしばられてゐるだけです。わたしはたけ落葉おちばうへに、やつとからだおこしたなり、をつとかほ見守みまもりました。が、をつといろは、すこしもさつきとかはりません。やはりつめたいさげすみのそこに、にくしみのいろせてゐるのです。はづかしさ、かなしさ、腹立はらだたしさ、――そのときのわたしのこころうちは、なんへばいかわかりません。わたしはよろよろあがりながら、をつとそば近寄ちかよりました。

「あなた。もうかうなつたうへは、あなたと一しよにはられません。わたしは一思ひとおもひに覺悟かくごです。しかし、――しかしあなたもおになすつてください。あなたはわたしのはぢ御覽ごらんになりました。わたしはこのままあなた一人ひとり、おのこまをわけにはまゐりません。」
わたしは一しやう懸命けんめいに、これだけのことひました。それでもをつといまはしさうに、わたしをつめてゐるばかりなのです。わたしはけさうなむねおさへながら、をつと太刀たちさがしました。が、あの盜人ぬすびとうばはれたのでせう、太刀たち勿論もちろん弓矢ゆみやさへも、やぶなかには見當みあたりません。しかしさいは小刀さすがだけは、わたしのあしもとにちてゐるのです。わたしはその小刀さすがげると、もう一をつとにかうひました。
「ではおいのちいただかせてください。わたしもすぐにおともします。」


をつとはこの言葉ことばいたとき、やつとくちびるうごかしました。勿論もちろんくちにはささ落葉おちばが、一ぱいにつまつてゐますから、こゑすこしもきこえません。が、わたしはそれをると、たちまちその言葉ことばさとりました。をつとはわたしをさげすんだまま、「ころせ」と一言ひとことつたのです。わたしはほとんどゆめうつつのうちに、をつとはなだ水干すゐかんむねへ、ずぶりと小刀さすがとほしました。
わたしはまたこのときも、うしなつてしまつたのでせう。やつとあたりをまはしたときには、をつとはもうしばられたまま、とうにいきえてゐました。そのあをざめたかほうへには、たけまじつたすぎむらのそらから、西日にしびひとすぢちてゐるのです。わたしはこゑみながら、死骸しがいなはてました。さうして、――さうしてわたしがどうなつたか? それだけはもうわたしには、まをげるちからもありません。かくわたしはどうしても、ちからがなかつたのです。小刀さすがのどたててたり、やますそいけげたり、いろいろなこともしてましたが、れずにかうしてゐるかぎり、これも自慢じまんにはなりますまい。(さびしき微笑びせう)わたしのやうに腑甲斐ふがひないものは、大慈大悲だいじだいひ觀世音菩薩くわんぜおんぼさつも、お見放みはなしなすつたものかもれません。しかしをつところしたわたしは、盜人ぬすびとごめにつたわたしは、一たいどうすればいのでせう? 一たいわたしは、――わたしは、――(突然とつぜんはげしき歔欷すすりなき

 

巫女の口を借りたる死靈の物語

――盜人ぬすびとつまごめにすると、其處そここしおろしたまま、いろいろつまなぐさした。おれは勿論もちろんくちけない。からだすぎしばられてゐる。が、おれはそのあひだに、何度なんどつまくばせをした。このをとこことけるな、なにつてもうそおもへ、――おれはそんな意味いみつたへたいとおもつた。

しかしつま悄然せうぜんささ落葉おちばすわつたなり、ぢつとひざをやつてゐる。それがどうも盜人ぬすびと言葉ことばに、つてゐるやうにえるではないか? おれはねたましさに身悶みもだえをした。が、盜人ぬすびとはそれからそれへと、巧妙かうめうはなしすすめてゐる。一でも肌身はだみけがしたとなれば、をつととのなかふまい。そんなをつとつてゐるより、自分じぶんつまになるはないか? 自分じぶんはいとしいとおもへばこそ、だいそれた眞似まねはたらいたのだ、――盜人ぬすびとはとうとう大膽だいたんにも、さうはなしさへした。


盜人ぬすびとにかうはれると、つまはうつとりとかほもたげた。おれはまだあのときほどうつくしいつまことがない。しかしそのうつくしいつまは、現在げんざいしばられたおれをまへに、なん盜人ぬすびと返事へんじをしたか? おれは中有ちううまよつてゐても、つま返事へんじおもごとに、嗔恚しんいえなかつたためしはない。つまたしかにかうつた、――「では何處どこへでもつれてつてください。」(なが沈默ちんもく
つまつみはそれだけではない。それだけならばこのやみなかに、今程いまほどおれもくるしみはしまい。しかしつまゆめのやうに、盜人ぬすびとをとられながら、やぶそとかうとすると、たちま顏色がんしよくうしなつたなり、すぎのおれをゆびさした。

「あのひところしてください。わたしはあのひときてゐては、あなたと一しよにはゐられません。」――つまくるつたやうに、何度なんどもかうさけてた。「あのひところしてください。」――この言葉ことばあらしのやうに、いまでもとほやみそこへ、まつ逆樣さかさまにおれをおとさうとする。一でもこのくらゐにくむべき言葉ことばが、人間にんげんくちことがあらうか? 一でもこのくらゐのろはしい言葉ことばが、人間にんげんみみれたことがあらうか? 一でもこのくらゐ、――(突然とつぜんほとばしごと嘲笑てうせう)その言葉ことばいたときは、盜人ぬすびとさへいろうしなつてしまつた。「あのひところしてください。」――つまはさうさけびながら、盜人ぬすびとうですがつてゐる。

盜人ぬすびとはぢつとつまままころすともころさぬとも返事へんじをしない。――とおもふかおもはないうちに、つまたけ落葉おちばうへへ、ただ一蹴ひとけりに蹴倒けたふされた、(ふたたびほとばしごと嘲笑てうせう盜人ぬすびとしづかに兩腕りやううでむと、おれの姿すがたをやつた。「あのをんなはどうするつもりだ? ころすか、それともたすけてやるか? 返事へんじただうなづけばい。ころすか?」――おれはこの言葉ことばだけでも、盜人ぬすびとつみゆるしてやりたい。(ふたたびなが沈默ちんもく


つまはおれがためらふうちに、なに一聲ひとこえ叫ぶがはやいか、たちまやぶおくへ走りした。盜人ぬすびと咄嗟とつさびかかつたが、これはそでさへとらへなかつたらしい。おれはただまぼろしのやうに、さう景色けしきながめてゐた。
盜人ぬすびとつまつたのち太刀たち弓矢ゆみやげると、一箇所かしよだけおれのなはつた。「今度こんどはおれのうへだ。」――おれは盜人ぬすびとやぶそとへ、姿すがたかくしてしまうときに、かうつぶやいたのをおぼえてゐる。そのあと何處どこしづかだつた。いや、まだだれかのこゑがする。おれはなはきながら、ぢつとみみませてた。が、そのこゑがついてれば、おれ自身じしんいてゐるこゑだつたではないか? (三度みたびなが沈默ちんもく
おれはやつとすぎから、つかてたからだおこした。おれのまへにはつまおとした、小刀さすがひとひかつてゐる。おれはそれをにとると、一突ひとつきにおれのむねした。なになまぐさかたまりがおれのくちへこみげてる。が、くるしみはすこしもない。ただむねつめたくなると、一そうあたりがしんとしてしまつた。ああ、なんしづかさだらう。この山陰やまかげやぶそらには、小鳥ことりさえづりにない。ただすぎたけうらに、さびしい日影ひかげただよつてゐる。日影ひかげが、――それも次第しだいうすれてる。もうすぎたけえない。おれは其處そこたふれたままふかしづかさに包まれてゐる。


そのときだれしのあしに、おれのそばたものがある。おれはそちらをようとした。が、おれのまはりには、何時いつ薄闇うすやみちこめてゐる。たれか、――そのたれかはえないに、そつとむね小刀さすがいた。同時どうじにおれのくちなかには、もう一血潮ちしほあふれてる。おれはそれぎり永久えいきうに、中有ちううやみしづんでしまつた。………

(大正十年十二月作)

 

 

映画 『羅生門』

監督 黒澤明

脚本 黒澤明 橋本忍

原作 芥川龍之介『藪の中』

製作 箕浦甚吾

出演者 三船敏郎 森雅之 京マチ子 志村喬 千秋実

音楽 早坂文雄

撮影 宮川一夫

編集 西田重雄

製作会社 大映京都撮影所

配給 大映

公開 昭和25年(1950)8月25日

上映時間 88分

製作国 🇯🇵日本

言語 日本語

 

第12回ヴェネチア映画祭グランプリ

第24回アカデミー賞の名誉賞(外国語映画賞)受賞

 

 

 

ひとりの男の死を巡って、いずれも自分を中心に語り、話は核心部分で微妙に食い違う。

真実は不明、すべては藪の中である。

 

 

 

 

 

本作のグランプリの報は、敗戦で打ちひしがれていた日本人にとって、yuka湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞、古橋廣之進の競泳世界記録樹立とともに希望と自信を与える出来事となった

敗戦国の国民として肩身が狭い思いをしていた海外在住の日本人にも大きな喜びを与えた。リヨンに留学していた遠藤周作は「ベニス映画祭で日本の作品がグランプリをとったというニュースほど、留学生を悦ばせたものはなかった。彼等が木と紙の家にしか住まず、地面の上に寝るとしか考えていない日本人の創造力が本当はどういうものかをこれによって証明できたからである」と書いている。ヨーロッパ在住のイサム・ノグチは本作を見て、ヨーロッパを威張って歩くことができたという

大映社長の永田は、受賞報告を聞いて「グランプリって何や?」と聞き返したという。永田は本作に批判的な態度を取り、映画祭出品にも無関心だったが、受賞後は手のひらを返したかのように絶賛し、自分の手柄のように語ったため、周りから「黒澤明はグランプリ、永田雅一はシランプリ」と揶揄された

この受賞以来、日本映画には各国映画祭から出品要請が相次ぎ、日本映画の配給を要望する海外の映画会社も増えた。日本映画産業も海外市場に目を向けるようになり、「輸出映画」という言葉が業界用語となった

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