公式ショップ 公式ライン

岩垣紅葉〜永観堂

当主のひとりごと (BLOG) 2025.11.29

「もみじの永観堂」と呼ばれて親しまれていますが、

無量寿院禅林寺ぜんりんじが正式名。

永観堂は浄土宗西山禅林寺派の本山です。創建の歴史は古く、平安初期の仁寿3年(853)に弘法大師の弟子の真紹が藤原関雄ふじわらのせきおの山荘を譲り受けたのが寺の始まり。

東山の起伏のある山腹に建つ開山堂へ通じる山の斜面に沿って急勾配の階段の廊下・ 臥龍廊がりょうろうは屋根の反りが龍の背に似ていることから名付けられたという。

 

この回廊は山肌を這うかのように造られていますが、因みに、この回廊は、1本の釘も使わずに組木だけで造られています。宮大工の匠の技です。

この時期、この廊下から見下ろす枝葉の景色や、急斜面からせり出すように伸びた岩垣もみじが特に美しい。

岩垣紅葉とは、御影堂の裏にある苔むした岩垣の間に根を下ろした紅葉のことなのです。この岩垣はかなり急な斜面になっていて、そういった場所に紅葉が生えるのはとても珍しく、岩の間から生えた生命力溢れるもみじが赤く染まっていく、ここ永観堂でしか見ることの出来ない珍しいものなのです。

東山の麓に並んで建つ名刹古刹の中でも群を抜いて紅葉の規模が大きく、いろはもみじの樹種を中心に約三千本もの紅葉が晩秋の諸堂が建ち並ぶ寺域を紅く染めます。

 

 

 

放生池の傍から多宝塔を見上げると、紅く燃え上がる紅葉の美しさは迫力さえおぼえます。

多宝塔へ登る石階段を彩る紅葉は、永観堂が建立される前にこの地を詠んだと伝えられている古今集の藤原関雄の歌

おく山の 岩がき紅葉 散りぬべし 

照る日の光 見る時なくて

から「岩垣もみじ」と呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

 

禅林寺を永観堂(えいかんどう)と呼ばれ続ける理由は永観律師(ようかんりっし(1033-1111)の功績によります。律師は自らを「念仏宗永観」と名のられる程、弥陀の救いを信じ、念仏の道理の基礎の上に、当時、南は粟田口、北は鹿ケ谷に到る東山沿いの広大な寺域を持った禅林寺の境内に、薬王院という施療院を建て、窮乏の人達を救いその薬食の一助にと梅林を育てて「悲田梅」と名づけて果実を施す等、救済活動に努力されました。

コメントを残す

*