6月に梅雨明けという観測史上初の京の夏の始まり。
「しつらえ」とは、部屋の空間を飾り整えること。
平安時代のハレの日のために準備をした「室礼」に由来します。
春夏秋冬と豊かな四季に恵まれた日本だからこそ生まれた美意識。
京の町家では、今も日々の暮らしの至るところに取り入れられています。
三方が山に囲まれた盆地ゆえに、夏の蒸し暑さと冬の底冷えが厳しい京都。
「徒然草」のなかで吉田兼好が「家の作りやうは、夏をむねとすべし」と記したように、町家には夏の暑さを凌ぐしつらえが多く見られます。
「葦簀」は、葦という植物や、竹などから作られたもの。
夏の町家でよく見られる葦戸、簾、葦戸は襖や障子に変わる建具、簾は横向きに編まれた室内のしつらえ、葦簾は縦向きに編まれた屋外のしつらえを表します。いずれも庭からの風をよく通し、部屋の温度を下げる優れもの。
ところで「葦、蘆、葭」の字は一般的には「アシ」で、イネ科ヨシ属の多年草。河川および湖沼の水際に背の高い群落を形成する植物です。
アシが「悪し」に通じることから、昔から「善し」と呼ぶようになったとか。
梅雨のある日、近江八幡の水郷巡りをして楽しんだ。
近江牛のすき焼きを味わいながら。
川岸の蘆が独特の雰囲気を醸し出し舟遊びはなかなかのものだった。
谷崎潤一郎の小説に「蘆刈」というのがある。
「大和物語」に取材したものだ。
一度、現実に 蘆を刈る情景を見たいと昔から切望していたのですが。。。。
タイムリーに訪れるって、かな~り難しいですね。
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《大和物語 百四十八段》
摂津国難波に若い夫婦がいた。
身分は低くはなかったが貧窮の挙句、男は若い妻の貧しい姿を見るに忍びず、「汝は京に上って宮仕えをせよ」と言い再会を約束し二人は別れた。
妻は京の貴族の家に仕えることができたが、夫は消息不明。
そのうちに館の北の方が亡くなると、女は貴族の妻に迎えられた。
幸せな暮らしにも、別れた夫が気に掛かる。
あるとき難波のお祓いの帰りに別れた夫を捜しに出かけた。
難波のもと居た家は跡もなく捜しあぐねて日も暮れかかるころ、車の前を蘆刈の男が横切った。乞食のやうないでたちだったが別れた夫に似ている。
伴の者に男の蘆をすべて買い上げるよう言い、男を呼び寄せた。
近寄る男の顔は別れた夫に間違いなく、涙があふれ、男に暮せるだけの代金を与えた。
そのとき、車の下簾の陰から女の顔が男の目に入る。別れた妻である。
男は我が身の見窄らしさを惨めに思いその場に蘆を投げ棄てて逃げ出した。
伴の者がようやく男を探し出すが声をかけてもそこを動かず、ただ硯と墨を乞うて歌を書いて渡す。
君なくて あしかりけると 思うにも
いとゞ難波の 浦ぞ住み憂き
あなたがいなくなり蘆刈りで生活を
するようになり体裁も悪くなったと
思うにつけても、たいそう難波の浦
は住みにくいことだ
歌を受け取ると女はよよと泣き自分の衣を脱いで与え京へ去っていった。
この後、どうなったか誰も知らない。