この歌はNHK「みんなのうた」で放映されていたので、童謡と思っていました。
大人になってから、曲の成立を聞き驚きました。
この歌は浜口庫之助さん作詞作曲でやさしいメロディです。
大森実さん(1922~2010)と言う国際事件記者の異名をとる大物ジャーナリストがいました。ヴェトナム戦争の真っ最中、ハノイ入りしアメリカ北爆の有様を赤裸々に報道したことで知られる人です。
そのため、在籍していた毎日新聞社がアメリカ大使館からの抗議を受け、退社せざるを得なくなるという出来事がありました。
当時の私たちは、民主主義国家のはずのアメリカの異なる一面を見た思いがして、ショックを受けたものでした。1966年のことです。
浜口庫之助さんは、大森さんと銀座の酒場の友人でした。
「えんぴつが一本」はちょっぴり哀しい”恋の唄”風ですが、大森さんは、若い部下がベトナムの戦争の取材に行き、戦場で地雷を踏んで死んだことを涙ぐんで話したのです。
庫之助さんは黙って聞いていたが、やって来た演歌師からギターを借りて軽く奏でながら低い声でこの曲を考え考え歌い始めたのです。
それは赤と黒との戦のなかにエンピツ一本を武器に飛びこんで行ったジャーナリストの心を見事にあらわしていました。
あの時の状景が今も目に耳にのこっている。
この即興でできた歌は、庫之助さんが友人の大森実さんのために作った歌だした。
大森実さんには「えんぴ1本」という著作があります。
大森実さんは「ハノイからの報告」を行った毎日新聞社の記者でした。
アメリカが北爆と称して、北ベトナムに対して無差別爆撃を繰り返していた。今はこの戦争がいかに非人道的行為の戦争であったのかは明らかにされている。当時は共産主義の防波堤という正義で、アメリカは巨大な軍事力で北ベトナムを押しつぶそうとしていた。ところが北ベトナムの抵抗は厳しく、ついにアメリカが敗北したベトナム戦争です。
アメリカが残忍な戦争をした事実が明確になった。大森実氏は西側大手新聞記者として初めて北ベトナム入りした。そして北爆の実態を報告したのである。その深刻な実態報告から、反アメリカ、べ平連などの運動が若者の間にまき起こった。
これに驚いた当時のライシャワー駐日大使は大森実の報告は虚偽だと、日本政府に圧力をかける。ライシャワー事件である。(ライシャワー氏はこの事件を自分の人生最大の間違いであったとして、晩年大森実氏に謝罪したいとしている。)
毎日新聞の揺らぐ姿勢から大森実氏はやめることになる。大森実氏は一人の記者として、その後も調査報道のために奔走する。鉛筆1本で巨大アメリカと戦い続けた。日本政府はアメリカの発表に追随するだけだった。報道機関はアメリカの正義の戦いを大本営発表として、垂れ流していた。しかし何かがおかしいという事は、誰もが想像はしていた。悪のテロ国家とされていたホーチミン北ベトナムの実態は何処にあるのか。真実は大きくゆがめられ報道され続けた。こうした報道の姿勢は今も大きくは変わっていない。真実を知るためには真実を読み取る眼が必要である。そして鉛筆1本が必要である。
日本では習近平政権だけを報道する。その背景には中国に暮らす人間がいる。中国人は多様である。日本人よりもはるかに複雑である。本当の中国を考える眼を持つ必要がある。
友人であった浜口氏はその大森実の応援歌としてこの歌を作ったという。
浜口氏は当時歌謡曲のヒットメーカーだった。
「星のフラメンコ」「バラが咲いた」はレコード大賞、今でも歌われている。
日本のシンガーソングライターの筆頭である。「鉛筆が1本」は簡単な歌なので誰でもすぐに歌える。是非口ずさんでみて欲しい。坂本九さんが「みんなのうた」で唄った音源はどうも失われたという事らしい。NHKが真実を知って廃棄処分したのだろうか。政府の圧力があったのだろうか。しかし、浜口庫之助氏、大森実氏、の思いを知り、声を出して唄うとまた違ってくる。何時の時代にもアメリカと鉛筆1本で戦う人間がいるのだ。相手が巨大であろうが、アメリカファーストであろうが、戦う武器は鉛筆1本だけ。そして希望を描くのも鉛筆が一本。鉛筆で蒔かれた種はどこかで芽生える。
この歌が忘れられず残るのは、聞く者が何かを察知してしまうからかもしれません。