今年も鉢植えのリラがまた咲いた。
また、この唄を思い出す。
タカラヅカレビューのスタイルを創り、
レビューの王様と呼ばれた白井鐡造という宝塚歌劇団演出家がいた。
1928年、宝塚歌劇団創始者小林一三(松岡修造さんの母方の祖父)の命により
レビューの本場パリへ渡欧。
本場のレビューに圧倒された白井は約2年間の修業を積み、1930年、帰国後第1作に『パリゼット』を発表。
全20場・上演時間1時間半の大作で、ダチョウの羽根扇、タップダンス。
それまでは白塗りだった舞台メイクがドーランになり、足を高く挙げる振付のラインダンスなどが日本に初登場した。
白井はパリ滞在中、この歌を大いに気に入り日本に持ち帰り
自ら日本語詞をつけ
昭和5年(1930)上演の『パリ・ゼット』の主題歌として使った。
原曲はドイツの作曲家フランツ・デーレが1928年に発表した
“Wenn der weiße Flieder wieder blüht”。
作詞者は「奥様お手をどうぞ」のフリッツ・ロッター。
ドイツ語圏での大ヒットを受けて、
翌1929年、フランス語の歌詞をつけてパリの劇場で歌われた。
これがシャンソンとして知られる“Quand refleuriront les lilas blancs”(白いリラがまた花咲くとき)だ。
一般的には「リラ」は淡い紫色で、当時の日本人には馴染みがなく
日本にある何か紫色の花はないかと模索して見いだしたのが「すみれ」。
「すみれの花咲く頃」はこうして誕生した。
以後、この歌は宝塚のシンボルソングとして長く歌われることとなり、シャンソンが日本人に愛好されるようになったのは、この歌がきっかけだといわれる。
作詞:F.Rotter、作曲:F.Dölle、
フランス語詞:F.Lelièvre、H.Varna、F.Rouvray
日本語詞:白井鐵造
1 春すみれ咲き 春を告げる
春何ゆえ人は 汝を待つ
楽しく悩ましき 春の夢 甘き恋
人の心酔わす そは汝
すみれ咲く春
すみれの花咲く頃
はじめて君を知りぬ
君を思ひ 日ごと夜ごと
悩みし あの日の頃
すみれの花咲く頃
今も心奮う
忘れな君 我らの恋
すみれの花咲く頃
2 花匂い咲き 人の心
甘く香り 小鳥の歌に
心踊り 君とともに 恋を歌う春
されど恋 そはしぼむ花
春とともに逝く
すみれの花咲く頃
はじめて君を知りぬ
君を思ひ 日ごと夜ごと
悩みし あの日の頃
すみれの花咲く頃
今も心奮う
忘れな君 我らの恋
すみれの花咲く頃