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冷泉家の礎石

当主のひとりごと (BLOG) 2025.03.29

春の雪が舞った同じ月とは思えぬほど気温が一気に上昇し、

早咲きの桜が一斉に咲き始めました。

今朝、用事で今出川通を東に歩いていると、

御所向かいの見頃の桜が美しかった。

冷泉(れいぜい)さんのお(やしき)だった。

懐かしい思いでしばらく通りからの花見を。

植木屋さんが入っていた。

下の地図で

左が烏丸通、右の通りを北へ進むと相国寺(しょうこくじ)

下が今出川通。今出川通の南は京都御苑。

北は同志社と思ってる人も多いですが、その一角、紫に囲ったところに冷泉家はあります。

今となっては遠い昔、「冷泉家」の図録が欲しかった。

思い立つと無性に手に入れたくなるのが人情。

見つけた「財団法人冷泉家時雨文庫」の連絡先。

 

〜どうすれば手に入るか尋ねてみよ〜

電話したら、手元に若干あるとのこと。

で、早速、伺いますと伝えると、

 

ー場所は知ったはる?

ーはい。今出川通の同志社の、

たぶん西の方の何処かの門  と答えると

ー工事中で入口が分かりにくいけど、

黄色と黒の斜めの線の上半分が網になったのが

あるところから入ってきて。

インターフォンも無いので勝手に入って来て。と仰るので、

ーわかりました。 と答えて出向いた。

出町の地下駐車場にクルマを停め、歩くうちに工事のガードフェンスが目印に簡単に見つかった。

工事中なので本来のご立派な門も無い。

電話は気楽でも、目前まで辿り着くと俄かに腹痛が・・・・極度の緊張。

 

曾て京都御苑一帯に築地塀を連ねた公家屋敷がありました。

秀吉の都市政策で御所周りに公家屋敷を集中させたのです。

 

藤原定家の孫・為相(ためすけ)を祖とし「和歌の家」として800年の歴史を持つ冷泉家が御所周りに居を構えたのは1609年。

東京奠都(てんと)で公家も東京に移り住んでも、冷泉家は留守番役として京に残った。

(やしき)はほぼ完全な姿で保存されており、近世公家住宅の唯一の遺構です。

とりあえず入って左に向かうとのことで左を見ると不思議な広い空間があった。

少し湿り気のあるきめの細かい土が綺麗に掃き清められていて、ところどころに20cm角ほどだったか形を整えられた礎石が1m間隔ほどに埋まっていて、一瞬たじろぎました。

掃き清められた土を踏めば足跡が残る。

そうや!礎石を軽技みたいにピョンピョンって飛び渡ればええんや!

いや、待て!

この歴史的遺構の邸が上に居座る前の礎石を踏みつけるのも恐れ多い。

時の流れを超越した空間に圧倒され固まってしまいました。

 

 

ーどちらはんどす。

不意に声がした。

今出川に塀を隔てただけの静寂に妙に聞き取れる声だった。

落ち着いて声の主を探すと、建物の骨組みは奥(北)に押し遣られていて、その屋根の上で黙々と作業している宮大工がたった一人いた。

物音もなく存在自体気づかなかった。

用件を説明しても案の定、家人でもない人だから返しは無かった。

敷地に入り込んだまま固まってしまった私をきっと不審者と思ったのでしょう。

我に帰りよく見ると、土塀の内側に石造りの溝が通っているではないか。

そこを伝って西奥へと進んでみた。

聞いていた通りプレハブが建っていた。

 

 

ーこんにちは〜

ーは〜い

奥から50代くらいのショートにパーマの金縁メガネにエプロン姿のおばさんだ。

先ほどの電話の件を伝えているうちに、

ーあ〜はいはい  と図録を用意して、

ー持って帰らはるのに袋があったほうが ええね?

ー領収書、頂けます?

ーお名前、どうしときましょ?

ー「上様」でよろしいわ

図録はほぼ完売直前みたいな説明を聞き、受け取る。

人の良さそうなおばさんだったので、

ー建物をどかして(押し遣って)修復したはるんですね。

ー元々は御所のすぐ外にあった家を、戦時中、

今出川を広げるために皆で家の柱に縄掛けて「せ〜の」で引っ張って

ここまで移動させはったんよ。

それでガタガタになってしもて。。。

ーあぁそらそうなりますわな。。。

で、なんか出てきましたか?

ーううん、お金もなんにも出てきいひん。

苦笑してしまいました。

ーちゃいますがな。古い瓦とか、遺物とか。

ーなんにも。。。

おっきな声で「お金も何にも」なんて自分の家のことみたいに言って、奥の奥様に聞こえて後で叱られるのとちゃうか。

 

とにかく図録を持ち帰った。一仕事終えてほっこりした。

 

図録の中の屏風に惹かれた。

為頼筆と説明されている屏風に書かれた和歌。

祇園で芸舞妓に「書」を教えている従姉に読んでもらおうと見せたら、読めないのです。

絵は宗達と伝わるが、「風神雷神」同様、落款がない。

 

 

 

仮名というのは漢字の音だけを生かして崩した字ですが、同じ音の仮名になる漢字はいくつか候補があるそうですが、まるで読めないのです。

従姉いわく、やんごとなき方々と庶民とでは崩す元の漢字がどうも違うのかも。

 

次の日、再び電話してみました。

ーあの〜、きのう分けて頂いた図録の屏風に書かれた和歌が

知りたくて、読もうとしたんですが、一般的に崩す漢字と

この屏風に使われている仮名の元の漢字が違うようで、

どの歌集にある誰の歌か教えて頂けると嬉しいんですけど。。

ーえ〜っ?! 読めますよ〜

ーいえ、読めませんよ。

崩し字の元の字が特殊で、、、

ーそんなことないと思うけど、、、

どの歌が読めへんの?

ーえっとぉ、右下の水色の扇子に書かれた歌とか、、

ーあっ、これは読めへんね。

そしたら、住所を教えてもらったら

送ってあげるけど、、、

ーえ〜っ、ほんまですか?

お手数かけます、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

・・・げっ もしかして・・・

この方?

 

 

 

今、振り返ると、よう厚かましくも電話したなとこわくなってしまいます。

私の想像するお公家さんは、薄暗い奥行きのあるお邸の奥から公道(こーと)(地味)な着物に帯の箔が明りの照り返しで光っており、裾には紫の霞をたなびかせてご登場あそばし、声は大きくないのに低く滑舌の良いとても早口で威圧感のある人。

だって私の記憶の冷泉さまは、TVニュースで数秒観る十二単姿ですからぁ。

金縁眼鏡もエプロン姿でもなかったし。

時に公家言葉なんか出ると思ってたし。

別棟の近代建築が建ってました。そりゃエアコン無しじゃ生きていけないし。

 

知らないほど強いものはない。

 

早々に便箋に手書きで屏風の和歌の現代字と読み人、出典を書いたものが届いた。

お伺いした時、もう一人おられたお若い男性の方だと思った。

宮中と庶民の使う仮名は、元の漢字が別。

屏風の面は「(せん)」と呼びます。

扇は向かって右側から左に向かい、第一扇、第二扇と数えます。

折れ曲がりの数により「二(きょく)」「四曲」「六曲」などと数えます。

 

上図の中央寄り第一扇の最上部にある紅い地紙(じがみ)に緑の骨の扇を例に。

こんな風でした。

【翻字】

それなから 昔にもあらぬ 秋⬜︎⬜︎

⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎ ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

【校訂】

それながら 昔にもあらぬ 秋風に

いとゞながめを しづのおだまき

【勅撰和歌集名・読み人】

新古今和歌集 巻第四 秋歌上・式子内親王

※「倭布(しづ)」とは古来より最高とされる国産の裂地(きれじ)で、「苧環(おだまき)」とは緯糸(よこいと)を輪状にぐるぐる繰り返し巻上げたもの。
「いとゞ」は「糸」に掛けて「倭布の苧環」の縁語。
苧環を繰ると言うことから「繰り返し」の意を呼び込む。「しづ」と「「眺めをしつ」と掛詞。「秋思」の歌。
()

扇の絵と和歌とは何の関係もなかった。

この調子で総ての和歌を書いてよこして下さいました。

流石、和歌の家!

感無量でした。

 

 

 

 

750坪ある冷泉家の解体修理工事は平成6年に始まり平成12年末に終わった。

完成後の一般公開に再び訪れました。

今となっては遠い昔のお話です。

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