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しるこ か 善哉

当主のひとりごと (BLOG) 2025.01.15

松の内とは、家の門に門松を飾ることからそう呼ばれます。

江戸時代初めは全国的に、松の内は1月15日、鏡開きは1月20日が決まりでした。

しかし、慶安4年(1651)4月20日(旧暦)に三代将軍徳川家光が48歳で亡くなったことで、20日が忌日(きじつとなるため鏡開きが1月11日に代わり、それに伴い関東を中心に松の内も1月7日までに変更されたといわれています。

それが当時の京や大坂まで広まらなかったため、関西では以前と同じように松の内は1月15日まで、鏡開きは1月20日のままで残ったようです。

 

 

これ、何に見えますか?

 

京都人には善哉にしか、見えません。

 

今日は小正月ですね。

 

1月1日を中心とした正月行事を大正月。
1月15日に行われる行事を小正月と呼びます。

かつて日本では、月の満ち欠けを1ヶ月の基準として暮らしており、人々は満月となる旧暦の1月15日に当たる日を”1年の始まり”である正月として祝っていました。

これは昔の日本人が、満月をめでたいものと考えていたことに由来するようです。

小正月に食べると良いとされる伝統的な食べ物は小豆粥です。
「小豆のように赤い色の食べ物は邪気を祓う」と考えられていた中国の古い風習に由来しているのだそう。
「枕草子」や「土佐日記」にも小豆粥の記述があるほど、伝統的な食べ物です。

これを食べて1年の無病息災を願います。

我が家では小豆粥の代わりに「善哉」をたべます。鏡開きをした鏡餅を入れます。

前々からTVで東京の甘味処紹介で、善哉をおしること呼んでいて不思議でした。

そもそも、おしるこ自体、お店のメニューにも見かけないし、馴染みがない。

京都でおしるこは絶対こし餡で餅は入らない。

おまけに両方ともしるけが多いのが京都の特徴。

 

パソコンを使うようになり、江戸文化も身近に見聞きするようになりましたが、京都で使わない言葉がカッコよく見えるし聞こえるけど、逆に江戸ことばが理解できないのが実情です。

一人称代名詞の「おいら」って、僕、オレを代えるだけじゃ不自然ですよね?

関西弁の「うちら」も自分のことを言うのは女性にかげられるし、「我が家」の意味では男性も使えますが、イントネーションが変わります。男性芸能人がTVで使ってると気色悪いです。多分「おいら」も関西人が真似てるのは、東京人には絶対気色悪いと思います。

「イキだね」と上方の「スイななぁ」も同じ漢字「粋」を当てますが感性は大きく違うと思いますが、今じゃ関西でも「イキ」を用いますが感性は、、、

こうして文化は崩れていくのでしょうね。

京言葉の「はんなり」も1970年の万博のとき、京都は観光客を引き込むキャンパーンのキャッチコピーとして色を言う言葉「はんなり」を雰囲気を表現する言葉として用いたら、それが一人歩きして本来の使い方のできない人が増えてしまいました。

文化って時流で変化するのは宿命かもしれませんが、本家本元がしっかり発信していかないと脇道が本道になると壊れていくと思います。

失われていくのは、京ことばだけじゃありません。

江戸ことばも話す人がなくなりましたね。

「ざんす」なんて40年ほど前、銀座の松屋さんの呉服売場から商品に関するお問い合わせの電話があり、「ざんす」という言葉を聞いた最後です。

どうして最近は使わなくなったのでしょうね。

「ございましょう?」とか聞かなくなりましたね。

日本語は「た」行が難しいと聞いたことがあります。Ta Chi Tsu Te To と書けば変則なのが納得いきますが、最近「す」のおかしい人が多くないですか?「でっすぅ」みたいに聞こえる人。

「おいしい」が「おいしぃや」みたいに聞こえる人。テレビに出る人は滑舌法なんて習わないでも出れるみたいですね。ま、すぐ消えると思ってたら、結構長く持ってるから情けないです。

 

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