鎌倉時代初期に成立と伝わる『宇治拾遺物語』は、『宇治大納言物語』から漏れた話を拾い集めたものという意味だそうで、全197話から成る。
巻一「児の空寝」
舞台は比叡山のお寺。
ある夜、僧たちが「いざ、かいもちひせん」というのを、児が耳にします。
かいもちが出来上がるのを待って寝ないのも居心地悪く、
児は部屋の片隅で寝たふりをします。
出来たところで、僧は声をかけますが、
児はもう一度呼ばれてからと考え、黙ることに。
しかし、僧たちは寝ているのを起こすのもどうかと思い、声をかけません。
今一度おこせかしと、思ひ寝に聞けば、
ひしひしと、たゞ食ひに食ふ音のしければ、すべなくて、
無期ののちに、
「えい」といらへたりければ、僧達笑ふ事かぎりなし。
ああ、困ったことだ、
もう一度起こしてくれよと思いながら寝て聞き耳をたてると、
むしゃむしゃと、ただどんどん食べる音がしたので、
児はどうしようもなくて、
タイミングを大きく逸した時間ののちに
「はい」と返事をしたので、僧たちは笑うことこの上なし。
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さて「かいもち」。
一体どのような食べ物だったのでしょう。
かいもちの由来は「かき混ぜる」という動作から名付けられたといわれます。
昔はぼた餅(おはぎ)のことを「かいもちひ(掻餠飯=かいもち)」と呼んでいた。
そう教わりました。砂糖の普及していない時代ですから塩餡だったでしょうか。
塩は甘味を引き立たせる効果がありますから。
蕎麦がきを指すとする説もあります。
京都は明治の御一新までは都でした。
常に新しいモノを取り入れて進化する宿命があります。
現代の京都に「かいもち」と呼ばれる餅はありません。
祖母は明治の生まれで正月用の餅つきに鏡餅とともに必ず「かきもち」を作りました。
かきもちとは「欠き餅」で薄く切って焼いて「おかき」にする意と聞いていましたが、もしかして「掻餅」とは単に搗いただけの餅という気もします。
我が家では毎年、餅つきには搗き立ての餅を大根おろしに醤油をさしたものに入れて食す「おろし餅」を食べていました。大根やきな粉、塩餡は手段に過ぎないのですから。
暮れから正月って体型維持が大変になってきますね (*^-゚)v