今日は七草粥の日ですね。
我が家では七草粥に正月の丸餅を入れて食します。
そして今年初の子の日。初子ということになります。
京都の正月飾り、根引松。
根引松は小松ゆえに、行く末頼もしくみえる、と新年の期待が込められています。
門口の向かって正面右側に雄松、左側に雌松を飾ります。
根がついたままの姿から「成長し続けるように」「地に足がつくように」という願いが込められています。
枝の中ほどに和紙を巻き、水引を結んで飾ります。
平安時代にはこの初めて迎える子の日に「根引松」という習慣がありました。若松を抜いて植えかえるので「小松引」とも呼び、『源氏物語』にも登場します。
門松という風習は江戸時代に興った習慣で、玄関に飾り、その年の歳神様をお迎えする役目を担っております。
松に神が宿る、という思想からです。
平安時代の「根引松」「小松引」というのは、歳神様をお祀りするというものではありません。
それが門松という形に習合されて現代へと伝えられました。
門松といいますと一対ですね。
同様に正月に京都の玄関に飾る根引松も一対です。
正式には雄松、雌松と一対で飾るものですが、花屋で売られている手前そこまでは望めません。
というわけで、枝ぶりから左右に分けて飾りました。
源氏物語 巻二十三 初音
姫君の御方に渡りたまへれば 童女
下仕へなど御前の山の小松引き遊ぶ
若き人びとの心地ども置き所なく見ゆ
北の御殿よりわざとがましくし集めたる髯籠ども破籠などたてまつれたまへり
えならぬ五葉の枝に移る鴬も思ふ心あらむかし
年月を 松にひかれて 経る人に
今日鶯の 初音聞かせよ
『音せぬ里の』と聞こえたまへるを げに、あはれ と思し知る
言忌もえしあへたまはぬけしきなり
この御返りは、みづから聞こえたまへ
初音惜しみたまふべき方にもあらずかし
とて御硯取りまかなひ書かせたてまつりたまふ
いとうつくしげにて明け暮れ見たてまつる人だに飽かず思ひきこゆる御ありさまを今までおぼつかなき年月の隔たりにけるも 罪得がましう心苦し と思す
ひき別れ 年は経れども 鶯の
巣立ちし松の 根を忘れめや
幼き御心にまかせてくだくだしくぞあめる
(訳)
ちょうど元日が子の日にあたっていた。千年の春を祝うのにふさわしい日である。
源氏は明石の姫君のいる春の町のほうへ行ってみると、童女や下仕えの女が前の山の小松を抜いて遊んでいた。
そうした若い女たちは新春の喜びに満ち足ったふうであった。
母・明石の君から綺麗な体裁の菓子の髭籠や料理の破子詰めなどが贈られて来た。
形の良い五葉の枝に作り物の鶯が止まらせてあって、手紙が付けられてある。
「音せぬ里の」(今日だにも初音聞かせよ鶯の音せぬ里は住むかひもなし)と書かれてあるのを読んで、源氏は身にしむように思った。
正月ながらもこぼれてくる涙をどうしようもないふうであった。
「この返事は自分でなさい。きまりが悪いなどと気どっていてよい相手でない」
源氏はこう言いながら、硯の世話などをやきながら姫君に書かせていた。
かわいい姿で、毎日見ている人さえだれも見飽かぬ気のするこの人を、別れた日から今日まで見せてやっていないことは、真実の母親に罪作りなことであると源氏は心苦しく思った。
少女の作でありのままに過ぎた歌である。
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