標高924mの愛宕山。比叡山より高い京都の最高峰です。
愛宕神社は全国に約900社を数える愛宕神社の本社として、京都市最高峰の霊山である愛宕山上に鎮座します。
7月31日は京都人にとって特別な日です。
とにかく京都のどの家の厨にもこの御札が貼られています。
今夜、お詣りしたら千日分のご利益があるといわれ、数え年3歳の子供が詣ると一生火事に遭わないとされています。
とにかく想像を絶する人数の人が明け方まで登拝します。
実は愛宕山は元来 禿山でした。
燃料の薪を供給するため、明治になって杉が一面に植樹され、風さえ通らない。
7月31日夜から8月1日の早朝にかけて参拝すると千日分のご利益があるとされ、毎年数万人の参拝者で境内参道は埋め尽くされます。
麓の清滝から山頂の愛宕神社までの約4Kmの登山道(表参道)には明かりが翌朝まで点灯されます。
防火・鎮火の神として信仰され、当日、「火迺要慎」の御札を求める人で夜通し賑わいます。
京都人が密かに守り続ける慣例です。
出発は二の鳥居からです。
この山はいきなりがきつい登り坂、ここで潰れてしまう訳にはいきません。
富士登山と同じで相当スローペースで登らないと最後まで持ちません。
お父さんの背負ってる子供は数え年3歳です。
途中、数カ所に東屋があります。
写真では明るく見えますが、実際はかなり暗いです。
登山ではすれ違う人に挨拶をしますが、ここでもそうです。
ただし、何故か京都弁なのです。ちっちゃい子供までがそうです。
上っている時、下ってくる人には「お下りやす」
下っている時、上ってくる人には「お上りやす」です。
「〜おしやす」という言葉は「〜なさいませ」という丁寧な言葉です。
方言がどんどん消えていく時代、ここは「京都だ〜〜」っと思わせてくれます。
なかなか辿りつきません。かなりの急勾配だし。
「水尾別れ」清滝方面と水尾からの登山道で、明かりの灯るのは清滝だけです。水尾がいきなり愛宕山なのに対して清滝からの登山道は別の山を越えての遠回りです。
ほんとはほぼ真っ暗です。市街地が見えます。
愛宕さんは、石段までが半分と言われます。
今は社務所のようなものがあるだけのだだっ広い平地。廃仏毀釈でなくなった寺跡です。そこから神社へ登る石段がえげつないのです。
写真では急勾配の石段がわかりづらいです。
修験道が集い杉の木を炊きます。
頂上の愛宕神社です。儀式は深夜2時ころです。
神社の創建者である和気清麻呂が 猪に助けられたとの故事に因んで、神使は「猪」とされます。
回廊形式の造になっています。
登拝に疲れて死人のようになっている人もいます。
右手社務所は夜通し開いています。
御札は神様なので一体、二体と数えます。
御札を授かったら下山です。
帰宅中に愛宕山の方から明るくなってきました。
愛宕神社の創祀年代は古く「愛宕山神道縁起」や「山城名勝志」白雲寺縁起によると大宝年間(701~704)に、修験道の祖とされる役行者と白山の開祖として知られる泰澄が朝廷の許しを得て朝日峰(愛宕山)に神廟を建立しました。
その後、天応元年(781)に慶俊が中興し、和気清麻呂が朝日峰に白雲寺を建立し愛宕大権現として鎮護国家の道場としたと伝えれます。
境内には勝地院、教学院、大善院、威徳院、福寿院等の社僧の住坊が江戸末期まで存在していましたが、明治初年の神仏分離令で白雲寺は廃絶、愛宕神社となり現在に至ります。