秋は夕暮れ
夕日のさして山の端 いと近うなりたるに
烏の寝床へ行くとて三つ四つ 二つ三つなど
飛び急ぐさへあはれなり
まいて雁などの連ねたるが
いと小さく見ゆるはいとをかし
日入り果てて 風の音 虫の音など
はた言ふべきにあらず
枕草子 第一段
秋は夕暮れ時が美しい
照る夕陽も山の影にいよいよ沈もうとする頃
からすが寝ぐらへ帰ろうと三羽四羽また二羽三羽など
飛び急ぐ姿も心に染み入ります
まして雁が隊列を組み
小さくなるまで遠くへ飛んでゆく光景は本当に素敵
日没を迎えても 秋草を揺らす風の音や虫の声が聞こえて
風情はさらにまた言葉もいらないほど趣があるものです
東山から帰ろうとする時、出遭った光景。
いよいよ紅葉の季節の始まりです。
ここは将軍塚。
京都市街地より200mほど高い華頂山の山頂。
都が奈良から京の南方・長岡に移されましたが、いろいろ事故が続きました。
この時、和気清麻呂は桓武天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろし、都の場所にふさわしい旨、進言しました。
天皇はその勧めに従って延暦13年(794)、平安建都に着手されました。
天皇は都の鎮護のため高さ2.5m程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢と太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられました。約20m四方のものが現存します。
これがこの地を「将軍塚」と呼ぶ由来です。
この将軍像の将軍は誰を模したって?
答えは→初代征夷大将軍・坂上田村麻呂 ←クリックして
この地に青蓮院が「青龍殿」を再建し平成26年(2014)大舞台を新築しました。
正面やや左にニデック京都タワーが見えます。
清少納言は内裏から山を見上げていたのですが、今日は逆に東山からの眺めです。
枕草子には秋の虫の興味深い記述もあります。
枕草子 第四十三段
みのむし いとあはれなり
鬼の生みたりければ親に似てこれもおそろしき心あらむとて
親のあやしききぬ引き着せて
いま秋風吹かむをりぞ来むとする 待てよ
といひおきて逃げて往にけるも知らず
風の音を聞き知りて八月ばかりになれば
ちちよ ちちよ
とはかなげに鳴く いみじうあはれなり
蓑虫はとても可哀想
鬼が生んだ虫ともいうし きっと親に似て恐ろしい心を持っているだろうと
親は子にみすぼらしい着物を着せ
「じきに秋風が吹くからね そしたら迎えにくるから 待っているんだよ」
と言い残して逃げ去ってしまったとも知らず
秋風の音を聞いて蓑虫の子は親が戻って来てくれると信じて八月頃になると
「父よ 父よ」
とはかなげに鳴く その姿はしみじみ可哀想でなりません
秋田のナマハゲのように蓑を着た者は異界からの使者という信仰があった。
それゆえ蓑虫は鬼の子ということになる。
ところが鬼は心優しい生物、虐げられた不幸な生物である。
だから、鬼は自分のような不幸な境遇にならないようにとあえて我が子を捨てるという云い伝え。
蓑虫は蓑蛾という蛾の幼虫である。
雄は蛾となり蓑を脱ぎ捨てるが、雌はそのまま蓑の中で成虫となり産卵後に役目を終え、蓑の中で萎んで死んでしまう。
だから、蓑虫は「父よ、父よ」と呼び、母を呼ばない。
実は雄も交尾を終えると死んでしまう。
清少納言はどこまでの知識があったかは知りませんが、親が鬼になって子を置き去りにするお話に仕上げたのは涙を誘いますね。
ちなみに俳人・松尾芭蕉は清少納言のこの段を知っており、
蓑虫の 音を聞きにこよ 草の庵
という句を詠んでいます。
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