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建勲さんの茅の輪

当主のひとりごと (BLOG) 2024.06.30

今日はほんまにみな月を食べる日です。

うちからすぐ近くに船岡山があります。

その東麓から一気に頂上まで続く石段があります。

 

建勲神社の石段です。

明治2年(1869)、明治天皇の御下命により創建された神社で、

織田信長公をお祀りしています。

正式には「たけいさおじんじゃ」といいますが

近隣では「けんくんさん」と呼び親しまれています。

今日は夏越(なごし)のお(はら)いの日です。

最も近所にある茅の輪。

これが意外や意外、大勢集まるんですよ。ほんまに。

17時半より大鳥居前にて夏越大祓式が、18時頃より()の輪神事が斎行されました。一日中雨の予報でしたが神事は晴れると言いますが、青空まで垣間見えて。

三種の和歌を唱和するのですが高い音程から唱うそうです。

第一首

思ふこと 皆つきねとて 麻の葉を

きりにきりても 祓ひつるかな

「皆尽き」は六月の「水無月」に掛けています。

後拾遺和歌集 巻二十 和泉式部の歌です。

唱和後、お辞儀をしてから左足から茅の輪を潜り左廻り

第二首

水無月の なごしの祓 する人は

千歳の命 のぶといふなり

拾遺和歌集 巻五 よみ人しらず

お辞儀をし右足で跨いで右廻り

第三首

宮川の 清き流れに 禊せば

祈れることの 叶はぬはなし

これもよみ人しらずです

お辞儀をし左足で跨ぎ左廻り

 

帰りには(かや)を戴いて。

地元に根差した親しまれる神社って流石です。

船岡山は、京都市北区にある標高112m(麓から40~45m)ほどの小さな丘で、その形が船を伏せたように見えることから「船岡」と呼ばれてきました。

平安京へ遷都した第50代・桓武天皇は、船岡山の山頂から山城盆地を見渡し、都を遷すことを決めたと伝わることから「京都始まりの地」とされ、「国見の丘」と呼ばれるとともに、北方守護の神「玄武」が宿るとも伝えられています。

船岡山の真南が大極殿、朱雀大路となりました。

今も神社境内の船岡妙見社に玄武大神が祀られています。

平安朝の昔には清少納言が枕草子で「丘は船岡」と讃えるほか、大宮人の清遊の地として多くの和歌が残されています。

また、11年にも及ぶ長い戦いが繰り広げられた「応仁の乱」では、山名宗全率いる西軍が船岡山に城砦を築いたとも伝えられています。

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