6月は水の無い月と書いて水無月。
「無」は神無月と同じで「の」の意味になる連体助詞「な」で「水の月」の意。
京都では6月30日の夏越祓をする禊の日に「水無月」なるものを食べる習慣があります。
実際には5月から店頭に並んでいますが(*ˊ艸ˋ)
「水無月」って他所の地方に行くと無いのに京都人は驚く。
京都府菓子工業組合の登録商標なので地方では売れないのが真相のようです。
宮中の人々は氷室から氷を取り寄せ、氷を口にして暑気払いをしました。
一般大衆は夏に貴重な氷は得られなかったため、米粉や小麦粉を練って氷片になぞらえたのが水無月で、三角形の形は氷片を表したもので、上に乗った小豆は悪魔祓いの意味だそうで、酷暑を乗り切り無病息災を祈願するお菓子です。
平日でも行列のできる餅屋として有名な「出町ふたば」に買いに行きました。
相変わらずの行列で並びながらふと目にした説明書き。
衣笠西麓に「氷室」が残っていると書いてあります。
私の幼少の頃、西大路より西には畑しかありませんでした。
子供らには必ずリーダー的な小学5〜6年生くらいの男の子がおりまして、いろんなところに連れてってくれたものです。塾に行く子もほとんどなかった平和な時代でした。左大文字山も当時は簡単に登れたし、近所の(駄)菓子屋でスルメを買って割り箸に縫い糸で吊るして持って、背丈より高いトマト畑の棚をぬって、金閣寺の裏の壊れた土塀を横目で見ながら、焼き場(斎場)の方角へ進むと目指す溜池「氷室」がありました。海老ガニ(ザリガニ)釣りです。金閣寺の土塀が壊れていて誰でも侵入できるほどでしたが、侵入されたという話は聞いたことないです。8月16日だけ無料拝観できましたし。
ふたばの説明書きを見て、幼い頃の記憶が蘇りました。
「氷室は今なお残っています」
だったら行ってみよっかと水無月と一緒に買った名代・豆餅を頬張りながら。
西大路鞍馬口を2筋下がると「氷室通」と標識がありました。
原谷に向かって金閣寺の裏塀を北進して今は無くなった斎場の方へ向かう。
金閣寺は放火事件の時の村上住職のご存命の間は拝観料が、世間は300円から500円の時でも50円のままでしたが流石に土塀は修復されてました。
ありました‼️
でも「氷室」は金閣小学校の第二グランドとして埋め立てられていました。
道路の向かいが金閣寺の土塀です。
延喜式にも記載されている「山城国愛宕郡 石前(いわさき)氷室)」(京都府京都市北区衣笠氷室町)はここでした。
ほんまに水が無くなってました💦
日本で最も古い「かき氷」の記述は「枕草子 第四十二段」です。
あてなるもの
薄色に白襲の汗杉 かりのこ
削り氷にあまづら入れてあたらしき金鋺に入れたる
上品なもの
薄色に白襲の汗杉(かざみ=汗取りの下着、男女とも用いた) 雁の卵
削り氷に「あまづら」を入れて新しい金属の鋺に入れたもの
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