今出川大宮を上がってすぐ西陣中央小学校内の小さな社。
観世稲荷社という。
能楽宗家の観世家の観阿弥(世阿弥の父)が室町幕府の三代将軍・足利義満から拝領した屋敷内にあった観世家の鎮守社に「観世水」と称する井戸があった。
一天 俄にかき曇ると龍が天降り井戸に飛び入った
と伝わる。
この水面は常に波動し水紋を描いている。
これをかたどって観世水の文様ができたと伝わります。
この屋敷は九世・黒雪(1566〜1626)が江戸に移るまで観世大夫の住まいで、その後も下屋敷として継承され、明治維新後に政府に返上。
大正12年(1921)3月にかつての観世屋敷の一部であるこの地に観世稲荷社が建立された。
この今出川大宮というのは江戸中期より「千両ヶ辻」と呼ばれていた。
立ち並ぶ糸屋や織物商。
一日に千両の生糸や織物を商った西陣の中心地でした。
明治になると有力金融機関が建ち並びました。
明治2年(1869)、観世屋敷跡地に桃園小学校が建った。桃園校は地元民の負担だけで建設されたほど、また昭和9年(1934)鉄筋コンクリートに建替え時も学区民の寄付により外壁は瀟洒なタイル張りとなり、地域の隆盛ぶりを伝えていた。
上京区というのはついこないだまで京都一高齢の区でした。
小学生の数も減る一方で成逸・西陣・桃園の各小学校が平成9年(1997)、一つに統合された。
場所は桃園校で今は西陣中央小学校となった。
観世屋敷の跡地なので住所も観世町である。
最近はnet検索で何でも調べられる時代ですが、大ウソもしばしばある。
「小学校に隣接」じゃありません。「小学校の敷地内」が正しいです。
いつでも自由に入れません。施錠してあります。大宮通から見えません。
土曜だったので小学校のドアも施錠されていました。
インターフォンを押したら宿直の先生がお出になったので、
「稲荷社に来たのですが、こちらから入れますか?」
と言うと、先生が出ていらして
「僕がいるときでよかったです」
と門を開けてくださいました。
物騒な世の中ですから昔のように学校の門は開けっぱなしではないのです。
おまけに観世水まで施錠。
でも先生は開けにくい施錠を開けてくださいました。
net情報って自分の足で行ったのではなく、地図で見ただけなのでしょうか?
毎月一日に井戸に盛り塩しに来られるそうです。
入れないお稲荷さんなので、賽銭箱もありません。
近年の調査で観世水は地下水の合流点だから水が動くのだそうです。
この日本人特有の身近なものを文様化する芸術はジャポニズムと呼ばれ西洋人を驚かせることになるのです。