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天神さんの福の神

当主のひとりごと (BLOG) 2025.02.02

節分とは元々季節の変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していたのが、江戸以降は一般的には立春の前日だけを指すようになりました。

本年の立春は2月3日なので、前日2月2日が節分になります。

 

 

 

昔々、洛北は深泥池(みどろがいけ)に「豆塚」という塚があったそうです。

平安京の北に鬼が毎夜出没し悪さをして人々を困らせていました。

鬼は貴船谷に棲み、地下道を通り深泥池の畔の穴から地上に出て騒いでいた。

そこで鬼の嫌がる豆を投げ込んだところ、鬼は静かになり出てこなくなりました。

それ以来、鬼の出入りする穴に節分の豆を撒くようになったそうです。

これが節分に豆をまき、鬼を追い払うことの始まりとも言われています。

文献には、この穴の跡に豆塚があったと記されていますが、それが近くの「深泥池貴舩(きふね)神社」ではないかと言わ れています。

 

節分の夜、邪気(鬼)はまず北東の表鬼門・吉田神社に現れ、そこを追われ、次に祇園社、南西の裏鬼門・壬生寺、そして最後に北西の北野天満宮まで逃げてきて、ここの福部社の中に閉じ込められるそうです。

 

御所の四方の鬼門を護るこの四社をお詣りすることを「四方詣(よもまゐり)」と言います。

 

今年は天門(陰陽道の北西で神が降臨する場所)の北野天神へお詣りした。

 

しっかし、立春の前日、つまりは昔の大晦日に当たるとはいえ、現代もまだ人出はすごいのが京都。

 

 

 

 

茂山千五郎社中による「北野追儺狂言(ついなきょうげん)」神楽殿

・゜゜・。ヾ(・ω・`。)(。´・ω・)ノ゛・゜゜・。

梅の枝に茶筅をぶら下げて揺々と歌いながら茶筅売が登場。

北野天満宮に着いた一行は観客を見回し

「さてはさては、本年は日曜日に当たるによって、これはおびただしい参詣ではござらぬか」とひと笑い取ります。

踊念仏をしようと瓢箪や鉦を叩き賑やかに歩きながら念仏を唱えます。

そこへ現れたのが深泥池(みどろがいけ)に棲むという鬼。

災いをもたらそうと北野天満宮にやってきた悪鬼。

踊念仏をする一同の前に躍り出て睨み回します。

さらには観客に向かっても威嚇するなかなか怖い鬼です。

そこへ笛の音と共に現れた天満宮末社・福部社(ふくべしゃ)の紅梅殿。

紅梅模様の着物を着た福々しいお顔。

福部社の神から「福の神」になったという由緒です。

ハーッハッハ」高らかに笑い声を上げながら、鬼を調福。

鬼は豆を投げつけられ這々の体で退散します。

鬼は〜外!踊念仏の一行も豆を投げて追い打ち。

福は〜内!福が舞い込む景気良さ。

観客に向かっても豆がまかれます。

狂言の後、上七軒の芸舞妓の奉納舞踊のあと豆まきです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七本松通から突き当たりの御前通の天神さんの東門に抜けるのに上七軒を通る。

上七軒も今出川通も住所がとても奇妙なのです。

例えば公共機関でいうと北野天神の今出川通を挟んで真向かいに上京警察署があり、少し西へ行くと日本政策金融公庫西陣支店がある。

カーナビが装備されてなかった頃、住所確認したら今小路通となっていた。

今小路ってもっと(しも)(南)なんですよ。とても不思議でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上京區 今出川通七本松西入 真盛町(しんせいちょう)」とあります。懐かしい仁丹☺️

上七軒の住所は真盛町です。

つまり、上七軒が昔の今出川通で、現在の今出川通が今小路通だったのです。

 

 

明治時代末の京都市三大事業により、烏丸通〜千本通間において拡幅・市電(今出川線)敷設が行われたとき今小路は今出川になったようです。

公共機関は住所から今小路を抜いて表記するようになったようですが、今出川なのに今小路町とか一般的には住所に名残が残っています。

 

 

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