蝋梅や 雪うち透す 枝のたけ
芥川龍之介
芥川は大正14年(1925)「蝋梅」という短文を書いています。
芥川家の先祖は代々徳川将軍家の奥坊主を務めた幕臣で、明治維新により没落し、家財を売り尽くし、庭の蝋梅だけが十六世の子孫・龍之介に伝わったのです。文の結びがこの句。
芥川は庭の蝋梅に思い入れが強かったようです。
この句には蝋梅の透明感・無常感が見事に詠まれています。
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私の父は生まれが大正14年で、葬儀が大雪とご縁がある。
母の三回忌、父の十七回忌、祖母の五十回忌が重なった。
菩提寺は京都大学の真向かい浄土宗大本山百万遍知恩寺。
後醍醐天皇の御代、元弘元年(1331)八月に畿内で大地震が起こり疫病が蔓延したので勅命で宮中で七日七夜の念仏を修したところ功あって疫病が止んだ。念仏の数が百万遍に及んだところから「百万遍」の勅号と弘法大師筆の軸と五百四十顆の念珠を下賜された。
僧俗が輪になり念仏を称えながら大念珠を操る「百万遍大念珠繰り」は全国各地に広まり、「百万遍」は地名にもなりました。御影堂には一〇八〇顆の大念珠が掲げられ大法要の折、大念珠繰りが行われます。
3人の法要が重なると流石に大塔婆も多く担ぐにも重い。
墓石の後ろに立てるのも難しいくらい。
生ある者はやがては入滅する。
歳を重ねてくると今日を頑張ることの大事さを知る。
祖先の守ってきたこと、伝えてくれたこと、
残してくれたもの
みんな大切です。
朝は時雨模様でしたが、法事のせいでしょうか
午後からは晴れ間に。
境内にこんな見事な蝋梅があったのも
今まで気づかずにいました。
ちなみに百万遍は観光寺ではないので拝観料は要りません(*^-^)V
帰宅したら法事の膳が早速届いた。
「天㐂」さんは法事と聞くや、この器。流石です!!
つゆを温めお膳の準備でした。