平安貴族の別荘地になって以来
京都を代表する観光地・嵐山。
平安後期の歴史物語「大鏡」の記述です。
藤原道長が舟遊びを催された際、漢詩の舟、管弦の舟、和歌の舟をそれぞれにその道に秀でた人を乗せた。藤原公任は「和歌の舟」を選び、見事な歌をお詠みになられた。
小倉山 あらしの風の 寒ければ
紅葉の錦 着ぬ人ぞなき 公任
(小倉山や対岸の嵐山から秋の嵐が吹き下ろし寒いので、降りかかる紅葉が誰にも美しい錦の衣を着飾らせているようだよ)
公任自らが仰るに「漢詩の舟に乗ればよかった。これほどの優れた漢詩を作っていれば名声ももっと上がっただろうに」と悔しがったということです。
一芸に秀でるのも難しいのにどの道にも秀でる人は、昔とてございません。
「三舟の才」という言葉の語源です。
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この辺りの流れを感じさせない浅瀬が大堰川。
保津川として流れて来た川で、大堰川と呼び、渡月橋より下流を桂川と名を変えます。
西側の松尾山・嵐山・烏ケ岳の嵐山三山と、東側の小倉山・亀山、さらにはその麓を含んだ地域を嵐山と称します。
もうお気づきかと思いますが、実は「嵐山」という山は実在します。標高は382mです。
地図ではピンと来なくても
写真の渡月橋越の山がほんまの嵐山です。
嵐山に来たら舟遊びということで、さっそく。
居座り寒波のおかげで真冬の気温です。
乗り場は左岸、京都吉兆嵐山本店の道を渡った真ん前。
この道、なんと三条通の西の果てなのです。
竹竿一本で操る舟は嵐山の屋形舟だけ。
この冬一番の冷え込み。冷えますねぇ。。。
上流に向けて左が嵐山、右が小倉山。
下流へ向かって
西山から東山を一直線に望めるのはここだけです。
「借景」という言葉があるが、
この西山から東山まで
京都の自然の景色を独り占めできる。
浮世の憂さ晴らしにはもってこいだ。
右岸上流の保津川が大堰川になる辺りから山を登ります。
中腹の大悲閣 まで石段200段ほどあり人出がグッと減る。
山道なので杖用の柴が用意されています。
山号は嵐山、寺号は大悲閣千光寺と称します。
境内にある切り立った岩肌に建つ舞台造りの観音堂は大悲閣と呼ばれるため、寺の別称も「大悲閣」と呼ばれる。
観月の名所でもあります。
船頭さんのお話の受け売りをちょっと (´エ`;)
年間1600万人もの人の訪れる嵐山。
最高視聴率を誇ったNHKブラタモリ「京都嵐山編」で
嵐山はなぜ美しいか?
1)人が目で見て美しいと思える範囲は限られており、
それは上下左右30度の範囲だそうです。
2)嵐山という山が最大40度近い急斜面を持つため、
その斜面の桜や紅葉の木が立体的に立ち上がって見え、
木の一本一本が見栄えがし、全体としてモザイク画の
ような美を醸し出すためだそうです。
それを聞いて再び嵐山を見ると、ほんまになぁと納得(* ˘꒳˘)⁾
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