わが家は 去年のままなる 投粽
軒さきに下げ わびしくも居り
京都を愛した歌人・吉井勇の「祇園會のころ」五首の一。
祇園會とは祇園祭の古い呼び方です。
この厄除けの粽を一年間玄関先に飾ります。
京都人は粽と聞けば、たいてい端午の節句のお菓子か祇園祭を思い浮かべます。
真っ先に中華の粽は想像しないと思います。
昔は祇園祭の鉾から粽投げが行われており、京都人と祇園祭はもっと親密な関係でした。
鉾町=室町の呉服問屋街で、ほぼ総ての問屋さんがお得意先を招待し展示会をなさっていたので写真のように反物を入れるぼてと呼ばれる箱に客人用の粽を集めていたのです。
私たちは路上で手をかざして投げ粽を手にしていました。
昭和58年(1983)以降、粽投げは混乱の中で負傷者が出たという理由で廃止されました。
だから私のような年代の京都人は厄除けの粽は購入するのではなく頂戴するものだと思っていましたから、購入するのがどうもアホくさい気がしてしまいます。
祇園祭は鉾町以外の人間には、市内のど真ん中が交通規制で渋滞になるのと、楽しみとしては宵山に行くくらいのもの。
鉾や山の装飾は動く美術館とも評されるほど豪奢な美術品・重要文化財の宝庫です。
そういえば今年の祭から白楽天山の前懸が新調されました。
実は昨年までの白楽天山の前懸の刺繍下地の生地は私どもが織ったものだったのです。
でも宵山の圧巻はなんといっても函谷鉾。
宵山16日夜10時前に1回だけの趣向を凝らした演出です。
テンポアップするお囃子のあと、、、、、、
今年の祇園祭はコロナの規制も解け、殊に前祭は宵山が金土日曜、17日の巡行が海の日の祝日と重なり京都も地盤沈下しそうな程の人出です。
ちなみに「ぼて」というのは呉服製品を持ち運ぶのに使用された箱のことで、昔は竹で編んだ箱に柿渋の和紙を添付補強したことから、「張りぼて」のぼてだと思います。
昭和にはありましたよねぇ、こういった箱。
今では厚紙のパッキングに姿を変えました。
呉服業界では売り出し会場への荷物運びを「ぼて担ぎ」と呼び現役の言葉です。