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冬の椿

当主のひとりごと (BLOG) 2026.02.21

モノ創りする者は絶えず新風を感じるアンテナを立てているのですが、西陣村だけでは新風は吹き込まないと感じ始めた頃の話です。

あるとき、絹糸の発色とはまるで異なるものを見た。

「革」と題された作品集で、その奥深い発色がなんとも惹きつけられた。

出版元に恐る恐る電話してみたら、予想外に好感触。

早速、編集者が来社してくださり、帯に革を織り込めないものかという思いを伝えると、父と私の写真を撮って作家の先生にお話する段取になった。そして東京の先生を一緒にお訪ねする運びとなった。

東京へは中学の修学旅行以来で、最初はなんとも思わなかったのが、新幹線に乗り東京へ近づくほど緊張が高まって、どうしようとビビり出した。

 

先生のお宅は元代々木にあった。

お宅に到着してもまだ第一声をどう言い出すか見つかっていなかった。

すると先生の方から「どんな帯になさるんですか」と口火を切っていただけて、すっと気持ちが楽になったこと。

それから何度もお伺いすることとなりましたが、手土産にいろんなお菓子を持って行った結果、湯葉がたいそうお気にめしたようでした。

 

あるとき、スクラップブックのようなものがあり、何気に拝見すると、山本富士子さんがこの部屋の大きなテーブルで革を押している姿が写っている週刊誌か新聞かの記事が目に留まりました。

なにやら先生をモデルに芝木好子が小説を書き、それがTVドラマ化されたらしいのです。

日本一の美女が先生の役をするって凄いことですねと言うと、ご主人役の俳優さんが素敵だったと仰ってました。

調べてみると、芝木好子の「冬の椿」はポーラ名作劇場として1971年3月8日から8回、毎週月曜夜10時のTVドラマ化され、「女身」と改題され放映されたようです。

この番組はポーラ化粧品本舗一社提供であり、椿が資生堂の花椿を連想させるため改題せざるを得なかったようです。

ヒロイン香澄に山本富士子、他に児玉清、浜木綿子、小山田宗徳。

ご主人役はどっちだろと思いますが。。

 

先生も背の高い方でしたが、ご主人はかなりの体格のようでした。愛用していた赤のセーターをサイズが合えば私にあげようと思ったと仰ってましたから、おそらくこだわりの英国製のカシミヤなんだろなと思いました。

山の手の方のことは想像すら難しいのですが、先生はご結婚するや兵庫県の芦屋にお住みになられたようです。まだ16歳だったそうで、豆腐屋が廻って来て、器を差し出すと、「はい、おまけ」と小さな豆腐を余分につけてくれたのが嬉しくて、毎日、豆腐屋のラッパが聞こえるとお豆腐を買いに出られたそうです。

ご主人は製薬会社を経営されていたそうです。

おそらく結構 歳の差があったのではないでしょうか。

先生は色白で美脚でいらしたので、経歴を拝見したら「宝塚しら糸会」とあったから、宝塚で脚を上げてらしたんですかと尋ねたら、笑いながら白糸会とは小林一三氏設立の宝塚女子青年会館しら糸会のことだと教えてくださいました。

「作者のことば」でこう書かれています。

宝塚の桜並木の道を週に何回か、育児の傍ら暇を作っては通い続けて、あれこれ習い覚えた事どもが、きっかけとなって、ふり返るとこの道もう四十数年もひきづられて来て了った形です。

専門の学歴も持たず何も解らない自分が、偉い専門家の先生方の中に加えていただいて、ただ必死に、もみくちゃになりながらも今日迄続けて来れた事に、矢張り先輩や同人達のお蔭を犇々ひしひしと感じます。

涙の落ちる様な口惜しい事も、悪口も、云って呉れる仲間が居た事を幸せに思っています。

 

 

しら糸会の作品展に出品した作品が売れたとご主人に嬉しくて報告したら、嫁にお金儲けさせるとはとんでもないことだとお怒りになり、どなたにお買い上げいただいたか調べると、なんと小林一三氏と分かり、お宅まで出向き説明して作品を返却いただいたと思い出話を聞かせていただきました。

小林一三翁は、宝塚に歌劇団を築いただけでなく、婦人の芸術にも力を注がれていたようです。

刺繍、染め、彫刻、日本画、とにかく何をしても熱心で深い探究心が美的感性で花開いていったようです。

 

内容は知らなかったので、今更ながら文庫本を読みました。

芝木好子の「冬の椿」は、昭和43(1968)年1月~44年12月まで月刊誌「小原流挿花そうか」に連載された長編小説。

ヒロイン香澄が昭和19年東京から鎌倉に疎開してくるところから始まる。隣人の裕福な実業家の瀬木と知り合う。香澄は嘱望された画家の卵の伊吹を慕っていたが応召され戦死と知らされる。戦中瀬木からの執拗な求愛から結婚するが、戦後伊吹が復員してくる。そこから始まる瀬木と伊吹、瀬木の愛人洋子をめぐる愛憎と相克が描かれる。

一方香澄は革染めの工芸に目覚め追及する。芸事と恋愛だけでなく、お嬢様育ちのヒロインが女としての成長も描く佳作でした。

 

主要人物は笹田香澄の絵画仲間、伊吹慎一、森洋子と、香澄の隣家の実業家瀬木竜彦の4人(なかにちょっと異様な性格の人物も)。好き合う二人の愛がなかなか成就しない。その閉塞感を振り払うかのように、香澄は革染め工芸に熱中する。革をカンバスに、染料を独自に開発し技を磨く(このシークエンスが面白かった)。香澄の革工芸での懊悩は、二人の行く末を暗示するようで、読後の余韻を楽しみました。

TVドラマ化で「女身」になった理由が判りました。

先生の生い立ちや環境はまるで違っていました。

ただ、革染めに関しては、先生に直に詳しくお聞きしないとどんな小説家にも書けないと思いました。

 

「大きな壁掛けを染めたいの。でも失敗するといけないから、小さな財布から始めようと思って」

白い羊皮(やんぴ)とよぶ革へ下絵を写さなければならない。小さく切った羊皮に図案をのせ、その上にパラフィン紙をのせて、鉄筆で線をなぞって革に写した。

模様の部分を蝋で伏せて革を染め、蝋を剥がすとそこは白く抜けるはずであった。布の臈纈(ろうけつ)染めに使う蝋を持ってきたが革に合うかどうか分からなかった。固まった蝋を割って亀裂の入ったところも染めると臈纈染めになる。

蝋は熱していなければ伸びないから、その通りにしたのであった。革にのった蝋は定着したとみる間に、蝋の下の部分は茶色に変色した。熱した蝋によって革が焦げたのであった。焦げたあとを冷やそうとして水を掃いても、変色のあとは歴然としていた。なぜ革は焦げるのか彼女には分からなかった。深い絶望に浸されて彼女は筆を捨てた。

蝋の温度が問題だろうかと失敗した革をじっとみるうち、革にはいくらか脂気が残っているのか。新しい革に彼女は思いきって水刷毛(はけ))を掃いてみた。布地の染色に呉汁(ごじる)を塗るのを思い合わせたのであった。

次の革に小さな下絵を描いて、今度は水刷毛をさっと掃いてみた。それから生きもののように敏感な蝋を、どんな熱しかたで保ってゆけばよいか、革のしめり具合と関係するかどうか、手探りの気持ちで考えめぐらし、祈るように筆を握った。日が落ちて手許の見えなくなるまで我を忘れて没頭した。

 

 

この一節は先生が革染めの第一歩を踏まれた描写そのものだと思いました。

おそらくTVの素敵なご主人役は児玉清さんだったと推察します。

先生があまり小説を積極的にお話にならなかったのは、「よろめき」だったからで、まるで物語は無関係だったためでした。

でも初めて革に草木染めの臈纈染めをするシーンは見応えあったでしょうね。

 

先生に戴いた筆入れ、懐かしいです。

 

図案を革で戴きました。額装したいと申しましたら、ニスを塗ってあったので草木染めがあまり着かなかったのです。

 

当時、デジタルでなくフィルムの時代でしたから写真は悲惨です。

本物はずっと上品でお美しかったですよ。

「すくい」という手織りで柄の一部に革を使用しました。

 

冬の椿とは、華やかでありながら静寂の中に咲く冬の椿の姿は、主人公・香澄が秘める内なる情熱や、品格ある立ち居振る舞いを表し、芸術への情熱を失わず、自らの仕事を確立していく、芯の強い生き方が「寒さに耐えて咲く冬の椿」に重ねられています。

 

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