、「遊山」とは
元々は仏教用語で「山」とは寺のことを指します。
禅宗の僧侶が一つの山で修行を終えた後に別の山に移って修行を続ける旅のことで、別の山に移る旅の途中、自然を愉しみながら自由に散策したそうです。
それが江戸時代に一般人の「物見遊山」となり、寺の参詣を名目にして山野に出かけ、花見・紅葉狩などの遊びをすることに使われるようになっていきました。

京都でいちばん最初に楓が色づくといわれている名所
高雄

高雄山の中腹にある神護寺は、清滝川にかかる高雄橋から紅葉のトンネルをくぐって辿り着く、道のりも美しい古刹。

ここからなんと400段もの石段を登るんです。
聞いた話では、現代のように防火の設備が優れていなかった昔は、仏像や経典を多く持つ寺は水分を多く含む楓や銀杏を御堂の周囲に植えたそう。それが秋の別天地を生み出した。
信仰のために急な石段を登るというより、景観を愉しむため登るのでしょう
・・・・・・・・・・実に美しい。

かなり急な石段の参道の途中に「硯石」なるものがある。

空海弘法大師が真言密教の礎を築いた寺としても有名ですが、大師が在山の時、嵯峨天皇から勅額の依頼を受けられたが、急な五月雨で橋が流されたため、この石を硯として対岸に立てかけた額に向けて筆を投げられたところ、見事に「金剛定寺」の四文字を書かれたという。
但しこの寺は現存していない。

硯石の向かいに茶屋がある。
寄ろうかどうしようかの位置にうまい具合にある硯石亭。
道明寺餅の上に自家製あんをのせて作ったもみじ餅が名物。

なんとこの茶屋、竈はおくどはん。

野点傘に緋毛氈、抹茶と風流この上なし。
紅葉の見事さは神護寺境内以上です。
これがまさに遊山と思いますよ。
実は、この山、裏に舗装した細目の道路かあるんですよ、と言ってしまえば興醒めしますが、病人が出たら困りますからね💦

でも、緊急用の道路ですから関係者以外は入れません。

バイカーが乗り付けてたりするから、知る人ぞ知る路のようですが、みんな徒歩で登拝です。

開山、和気清麻呂の私寺・神願寺と高雄山寺という二つの寺院が天長元年(824)に合併し、寺号「神護国祚真言寺」、略して神護寺と改められました。幾度の荒廃の後に見事復興し、国宝の薬師如来像をはじめ、平安時代や鎌倉時代から伝わる寺宝を数多く保有。



また、境内の一番奥にある地蔵院の庭から、素焼きの皿を投げる「かわらけ投げ」も人気。錦雲峡に向けて思いっきり皿を投げれば、厄除け効果も期待できそうです。


京都市北西部に位置し、高雄・槇尾・栂尾と京都屈指の紅葉の名勝として親しまれ合わせて「三尾」と呼ばれる。
狩野秀頼《高雄 観楓図屏風》
16世紀後半、室町〜安土桃山時代、紙本著色、六曲一隻、150.3×364.3cm、国宝、東京国立博物館蔵

室町時代のこの「観楓図屏風」には、当時の紅葉狩りの様子と併せて描かれています。

屏風中央は僧侶一行の参詣姿です。
美術研究者の中には酒宴を楽しむ人々は此岸、橋を渡った神護寺と愛宕社は彼岸であると解説する人も多い。

酒宴にふける婦女子(画面右)、武士たち(画面左)に「赤々と萌える紅葉もいつか枯れ果てる、人生の終焉を予期して遊楽にふけるばかりでなく、仏の道に近づくように」と諭す作者のメッセージが込められているのかもしれません。
この屏風は、本来六曲一隻のうちの左隻で、寺社や名所を舞台とすることで、神仏への祈りとともに季節の移ろいを描く「四季名所絵」の伝統が踏まえています。右隻にあたる「春夏」の一隻がかつて存在したことを思わせます。
この屏風は、当時の人々の姿を丹念に描き込んでおり、「野外遊楽図」の最も古い作例とも位置づけられています。

鼓を奏でる男は「辻が花」を着ています。衣裳や調度にいたるまで丹念に描かれています。
舞扇をもって舞う男は、この一行の主人でしょうか。

一服一銭の姿も。
「一服一銭」は室町時代(15世紀)から安土桃山時代にかけて、縁日や名所などで抹茶一服を一銭で売っていました。
ここでも「担い茶具」で一服ずつ立て売りする様子が細やかに描かれています。
「紅葉狩り」の「狩り」の元来の意味は、野山で獣や鳥を追い立てて捕らえること。さらには、山野などに分け入っていく行為自体を指すようになったようです。風流を競い合った平安貴族たちが、野山に分け入って桜や紅葉を探し求めるさまは、さながら「狩り」の趣なのでしょう。
そもそも「紅葉」と書いて「もみぢ」と読むのは何故か。
「もみぢ」という言葉は「草木の葉が赤、または黄色くなる」という意味の動詞「もみづ」に由来するそうで、その連用形「もみぢ」が、葉の色が変わることや、紅葉そのものを指す名詞へと変化したものです。
「もみづ」の語源は染め物の「揉み出づ」のようです。紅花染めにはベニバナの花びらを使います。この花びらには紅色と黄色の2種類の色素が含まれており、これを真水につけて揉むと、まず水溶性の黄色い色素を「揉み出す」ことができます。次に、アルカリ性の 灰汁に浸して揉むと、鮮やかな紅色を「揉み出せる」のだそうです。
明治期に編纂された国語辞典「大言海」に美しい説明があります。
「色ハ揉ミテ出スモノ、又、揉ミ出ヅルモノ、サレバ、露、霜ノタメニモミイダサルルナリ」
昔の人は、露や霜に洗われた草木の葉から、鮮やかな紅や黄色が揉み出されて葉の色が変わると考えたという語釈です。ひんやりとした朝の空気、秋が深まる山々の情景が思い起こされます。
「もみぢ」という言葉が紅葉(黄葉)する意味でカエデとモミジの違いは、葉が赤や黄色に変わる草木はすべてモミヂであって、カエデはその中で代表的な植物のひとつです。
なお、カエデという言葉は、葉の形をカエルの手のひらと見立て、「かえるて」がつづまってできたというのが定説となっています。
