濡れて紅葉の長楽寺

BLOG 2017.11.23

すいば3

 

京都には古い歴史がある。

それゆえ京都人は明治以降にできたものは古いと思わないところがある。

 

京都で最も古い公園、円山公園もそのひとつ。

 

平安時代、台地一面に葛やススキが生い茂り真葛ケ原(まくずがはら)と呼ばれた。

明治維新の廃仏毀釈(神仏分離令は1870)、上知令(1871)で、祇園感神院(当時の八坂神社)は壊され、安養寺、長楽寺、双林寺の境内も大きく官に没収され、その8万6641㎡の敷地を明治18年、公園として整備した。
とにかく明治の御一新は京都を大きく変えた。
祇園から円山公園の喧騒を抜けた奥(東)にひっそり佇む長楽寺。
階段の下で足を止める人はいても、階段を上がる人は極端にいない。
延歴24年(805)桓武天皇の勅命により伝教大師・最澄を開基として創建。
平清盛の娘で高倉天皇の中宮となった建礼門院徳子が壇ノ浦での平家滅亡後、ここで出家され、わが子安徳天皇が最後に召されていたと言う御衣(ぎょい)を御布施とし、自ら幡(ばん)に縫われ御菩提を弔われたと平家物語にも記される。その後室町時代の初期、当代一の名僧国阿上人に譲られ時宗(宗祖一遍上人)に改まり、明治39年に時宗の総本山格であった名刹七条道場金光寺が合併され今日に至る。
長楽寺山は三十六峰の中心にあたり京都市内を一望できる絶景の見晴らし。
「 東山三十六峰」と名付けたのは江戸時代の有名な文人・頼山陽とされる。
山陽はここ長楽寺のしぐれの紅葉を詠い、遺言によりここに葬られている。
   時雨を厭(いと)う 唐傘の
       濡れて紅葉の 長楽寺 (頼山陽)
七五 七五 のリズムは今様であるが、「京の四季」という端唄(はうた)の中に組み込まれ京の花街で舞われている。
それにつけても紅葉を帯で表現するのは難しいものです。
色鮮やかな紅や黄色を表現するには陰の部分をしっかり濁らせる必要があります。
また、紅葉の葉の大小も想いの外 大きくつける苦心があります。
葉の大小は遠近感の表現にもなり、文様に奥行きも与えます。
脇がしっかりしてこそ主役がより輝くというものです。